<拍手レス>
●T様
母、バカでしょう?(涙)いや、うちの家族歴史オンチばっかりなんですよ!
私と一緒に大河ドラマとか見ているはずなのに・・・何故。謎は深まるばかりです。
しかしながらコメント嬉しかったです!こんな僻地まで有難う御座います!
またぜひぜひお茶などなどして下さいねv図書館ツアーも楽しみにしております!
さて、今日はちょっと長丁場になりそうですよ。
戦国褌萌え語りですよ。興味ない方はがっつりスルーしてネ!
戦場のど真ん中で愛をかぶっちゃった男、直江兼続。
私はかなりお気に入りの人物でうちの小説「天高」でも良い役回りをしています。
品行方正、冷静沈着、美貌の小姓として景勝を支えた立役者。
・・・っていうのは私の贔屓目なのだろうか(笑)。
今回はちょっと直江について暑苦しく語らせて頂きますヨっ!?
そんで愛をチャージして今年こそ「愛」鎧を見に行くのだぁああぁー!!
桂さん、覚悟しときっ!!(※私信は他所でやって下さい)
直江兼続。
1560年に生まれ、樋口家の息子として上杉家に出入。台所の仕事をしている父について
まわっているところを謙信のお姉さんがヘッドハンティング。景勝の傍仕えになる。
◆JUNE的ポイント!
幼馴染ですよ!幼い頃から身を寄せ合っていたのです。ムフフ・・・。
ちなみに卯月さん調べによる兼続のヘッドハンティングは4歳くらい。
景勝は9歳の時でした。謙信のお姉さんといえば景勝のお母さん。
つまり、お母さんは「この子(兼続)は景勝の良い相棒になるわ!」と
見越していたわけですネ。母公認!!父は台所仕事してるのになぁ・・・。
1564年、景勝が謙信の養子に入る。それに伴い、兼続も春日山城へ入城。
1578年、謙信が死去すると同じく養子である上杉景虎と家督争いが勃発。
御館に立て籠もった景虎と戦い、結果自害へ追い込んで勝利。これが御館の乱。
1580年になると景勝が名実ともに上杉家の頭領となり、兼続の地位も上がる。
◆JUNE的ポイント!
家督争いまでの14年間、濃密な時間を過ごすのですよ!ちょうど思春期!
お年頃の息子さんたちはそりゃもう毎晩暴れ馬ですよ!?そして二人の絆を
確かなものとする御館の乱時、景勝様は23歳。濡れに濡れまくる青年ですよ。
対して兼続は前髪も美しい18歳。蘭丸が信長に仕えていた年齢と同じ位です。
美青年軍師を従えて戦う景勝様はさぞ鬼神のごとく神々しかったんだろうなぁ。
1581年、上杉家側近である直江信綱らが殺害されると、景勝の命で跡取のいない
直江家の婿となって家督を相続する。その2年後にはかの斎藤道三の所領であった
山城守に叙任。越中まで侵略してきた織田軍に滅亡寸前まで追い詰められるが
本能寺の変が勃発し、奇跡的に命拾いをする。しかし家督争いや柴田勝家率いる
織田家の進軍、新発田重家の裏切りなどで国力が凄まじく衰退したため、
やむをえず豊臣秀吉の配下となって、上杉家は五大老の仲間入りをする。
◆JUNE的ポイント!
上様の命令で結婚するの!結婚なんかに興味はないけれど(浮いた噂ひとつない)
上様が「お前に足りないものは家柄だけだ。直江家を継いで更に俺の傍でずっと
俺を支えて欲しい」とかなんとか言っちゃったもんだからそりゃ婿入りもするよ!
(※卯月さんの妄想です)さて、一城の主となった兼続は前髪を落として武将として
新たに景勝様にお仕えしますよ・・・って思ったらなんか時代が超動いてる!
上様「国力が衰えたとはいえこの上杉家、誰ぞの臣従になろうとは・・・」
直江「恐れながら上様、今は上杉家の存続こそが大事。耐えて下さりませ」
上様「兼続・・・俺は草履取りの配下になってまで生き残ろうとは思っていな・・・」
直江「上様!・・・上杉家とはすなわち上様のこと。上様が生きねばどのみち
上杉家に未来はございません。それとも上様は家督争いで弱った民をお見捨てか!?」
上様「・・・・・」
直江「それに私は・・・兼続は、上様を死なせたくはございませぬ」
上様「・・・兼続」
直江「謙信公とて生きておられたら苦汁の道を選択したはず。
・・・なに、心配はいりませぬ。上様にはこの兼続がついておりまする。
すぐに国力を戻して豊臣すら一目置く領にしてみせましょうぞ」
上様「兼続、すまなかった。お前は私のことを思って叱咤してくれたのだな。
やはりお前は私の一番の理解者だ・・・(そっと兼続を抱き寄せ)」
直江「もったいなきお言葉。臣下が主を思って行動するのは当然のこと(景勝に頬を摺り寄せ)」
二人の唇が静かに重ね合わさった・・・。
って萌えじゃNEー!?もうこの二人は隙あらばいちゃこらしてればいいよ!!!
ちなみに他の大老は徳川家康・宇喜田秀家・毛利輝元・前田利家。超エリート軍団。
初代五大老は小早川隆景でしたが、死去したために上杉景勝が跡を継いだわけですね。
JUNE的に萌えていればこの流れに直江&石田の親密度が絡んでるといいなー、なんて。
1592年、二人は朝鮮出兵で武功を上げ、景勝は120万石に加増。さらには兼続に
所領まで与えられた。兼続は秀吉の部下である石田光成とも仲がよく、上杉家は
徐々に国力を戻して二人の未来は輝かしいものになっていった。・・・はずだった。
◆JUNE的ポイント!
大人の色香が漂ってくる三十代。上様と兼続は豊臣の世に名を馳せていましたよ。
二人が愛した国がどんどんと豊かになっていく様子を見て二人はさぞ喜んだでしょう。
平和な時代・・・あとはもう愛を育むっきゃねぇんじゃねー!?ということで、
ふとんが乾く暇もないラブタイムを過ごしていたと思われます。
しかしながらまた!またもや二人の愛を裂こうとする運命の罠ですよ!ドラマティック!
1598年、秀吉死去に伴い徳川家康が他の五大老を失脚させようと前田利家を狙うが和解。
次に狙われた上杉家に(景勝を排除するため)召還命令が下される。しかし兼続は
この申し出を突っぱねる。このときの書状を見て激怒した家康は上杉家に向かって
進軍を始める。直後、石田光成が発起。時代は関が原の戦いへと進んでゆく。
◆JUNE的ポイント!
いや、この書状ってのが有名な「直江状」なんですけどね。これがすごい。
「うちの景勝様が謀反のために戦の準備をしてるだと?どこに目ぇつけとんじゃい!
うちんとこは50万石から120万石になったばっかりで、治安守るためには
城作ったり兵糧を確保するのは当たり前だろうが。それにうちは東国の田舎武士で、
そっちのお偉いさんみたいに香り高い茶器を集めたりする文化は持ってないんでね。
まだまだ戦国の世を忘れられず武具やら兵糧やらを集めちゃうんだよね。
それなのに謀反とか言うのって筋違いじゃない?それにこっちは雪で動けないんだっつの。
疑うならそっちから人をよこせばいいじゃねぇか。それでもまだ文句があるっちゅうなら
いつでも来いや!!家康殿の傍若無人を見過ごせないから叩き潰してやっちゃうもんね!」
といった内容の書状を送り返したわけですよ。もう家康ってば「こんな無礼な手紙、
初めて貰った!」と怒り心頭になっちゃって上杉討伐をうきうきと決意。
これだけ見ると兼続ってばすげぇ血気盛んな奴のように思えます。でも上杉家としては
当たり前のこと。滅亡の危機に瀕していた家を盛り立ててもらった豊臣の遺児(秀頼)が
いるのにさも天下は自分のものといわんばかりの家康に腹を立てていたのでしょう。
しかも徳川は上杉と同じ五大老の一人。同じレベルの相手に臣下に下れといわれてもねぇ。
上様大好き兼続くんはさぞムカついたことでしょうよ。天下の家康相手にガチンコバトルを
ぶっぱなそうとしたら兼続くんのお友達である光成くんが発起したぁー!!ってことで
上杉家は最上や伊達と東北で争うことになります。お家騒動からしばらく。
景勝&兼続の最強コンビが再び立ち上がりましたよ!!も〜、この時代だけでも
妄想は尽きませんね!!上様のお命を狙う狸に美しい顔を歪ませて怒る兼続。
上様「・・・兼続、その様に怒りにまかせて筆を動かすでない」
直江「そうは言いましても上様!あの古狸めに一泡吹かせてやろうと今書状を・・・」
上様「そうして怒っている様も美しいな」
直江「(ふと筆を止めて)・・・上様、怒りを殺ぐようなお言葉はお控え下され」
上様「おや、怒りが殺がれたか?」
直江「当たり前でござりましょう。上様にそのようなお言葉を頂いたならば、
喜びで顔がにやけてしまうではござりませぬか(頬が赤いまま口を尖らせ景勝を上目る)」
上様「よいよい、好きなだけにやけるがよい。狸への書状は後で二人で作ればいい」
直江「・・・では、今は何をすればよいのですか」
上様「それがわからぬお前ではなかろう(指先でそっと直江の頬を撫で)」
直江「・・・仕方のない殿ですね(溜息をつきつつも笑み、ゆっくりと腕を伸ばす)」
って・・・ギャー!! M O E が!
MOEが吹き溜まってるよー!!!・・・はぁはぁ。長くなりすぎた。次いこう、次。
1600年、東北で伊達、最上と戦う上杉家。しかし西軍がたった一日で敗れたことにより
家康に降伏せざるを得なくなってしまう。1601年7月、景勝は兼続を引き連れて上洛、
家康に詫びをいれに行く。大幅な減移封されるも上杉家は存続となる。
◆JUNE的ポイント!
またもや上杉家はプライドよりも存続を選んだんですよ!!!詫びを入れるという行為が
戦国武将にとってどれほど辛いことか・・・。しかしながら家康は関が原の戦いで
西軍が負けた後、すぐに撤退を決めた兼続の決断力と、その際の見事な手際を非常に
褒め称えていて、彼も上杉家存続に一役かったのではないかと私は思います。
JUNE的に言えば美貌の兼続ちゃんが伽でもしたっての希望ですが、まぁ、それは殿が
止めたということで。あら、またストーリーが出来ちゃったじゃないの。
120万石から30万石という大幅な減移封をされた原因を作ったのは自分、と
兼続は自害を決意。しかし景勝に「共に財政を立て直して行こう」と告げられ、
以後米沢藩の財政復興に身を削ってゆく。この頃兼続は本多正信と交流があり、
1609年には彼(本多)の取り成しで10万石分の役儀が免除されている。
◆JUNE的ポイント!
またタラシこんだぁ!(爆笑)石田光成に次いで、本多正信もタラシ込みました、兼続。
豊臣時代には石田光成と仲良く、徳川時代には本多正信と仲が良い。すげぇ世渡り上手。
兼続は敏腕で知られているので秀吉にも何度も引き抜きの手紙を貰ったりしているのですが
兼続ちゃんは殿一筋なので全ての誘いを断っています。もうね、殿しかいないの!
殿がすべてなの!小さな頃からずっとずっと、兼続が死ぬまで二人は一緒なの!(※本当)
しかも上様は上様で「お前が死んだら困るから死ぬな!」って言って二人で手を取り合うの!
もう何も言うべきことはない・・・二人の間にあるものはまさしく愛!揺り篭から墓場まで!
超貧乏な藩を頑張って盛り立てていってくれ!!・・・ちなみに90万石も失って
いるというのに上杉家はほとんど家臣をそのまま召抱えたわけですよ。上杉家について
いきます!っていう家臣がほとんどだったのね。でもそれを全部召抱えちゃったから
余計に財政が圧迫。江戸時代でも有名な貧乏藩になったわけです。何度も財政破綻しそうに
なってるのにそれでも家臣に禄を払い続ける上杉家。漢だなぁ・・・。
以降、直江がいかに性格が悪かったか(笑)知らしめる逸話を抜粋。
<拝啓、閻魔大王様へ>
兼続の家臣である三宝寺勝蔵が下人(五助)を無礼討ちした際、五助の家族が「五助の
粗相は何も無礼討ちにされるほどのものではなかった」と訴え出てきた。兼続が調べた
ところ、確かにその通りなので兼続は家臣に慰謝料を払うように命じた。一度はそれで
帰った家族だったが、翌日もう一度来て五助を返せと言って譲らない。兼続は「慰謝料を
受け取ったのであろう?死人は生き返らないのだから納得してくれ」と言ったがそれでも
家族は譲らない。「よし、わかった。それじゃあ下人を返してやろう。だがあの世に
遣いにやれる者がおらぬからお前達行ってきてくれ」と言って閻魔大王への嘆願書を
懐に突っ込んだ家族三人の首をはね、その首を川原に晒してその横に嘆願書と同じ内容の
札を立てさせた。立て札には「この者どもを遣いに出すので死人を返すように」と
書いてあったという。
<不浄なものだから>
景勝の代理として大阪城の宴に参加することになった兼続。そこで伊達正宗が
同席の諸大名に「珍しいものを見せてさしあげよう」と得意満面に天正大判を回覧した。
すると兼続は懐から扇子を取り出し、それで大判を受け取った。政宗は兼続が陪臣で
あることに遠慮しているのだろうと「山城(兼続)、手に取って見てもいいぞ」と
声をかける。しかし兼続は眉を顰めながら「冗談をめさるな。不肖ながらこの兼続の右手は
戦場にあっては先代、謙信公の頃よりの采配を預る者。左様に不浄なものを触れるわけには
いきませぬ」と言って扇子の上で大判を跳ねさせ、裏表を見た後に政宗の膝元へ投げて返した。
<だって見たことないし>
兼続が江戸城で伊達政宗とすれ違った際、そ知らぬ顔で会釈をしなかった。
(※この頃の大名は目礼だけでもしなければならなかった)
そのため政宗は「たかが30万石の藩の陪臣が60万石の大名に挨拶もせぬのか」と
咎めてきた。そこで兼続は「おや、貴方が伊達政宗殿だったのですか?この兼続めは
政宗殿と戦場で相見える間柄だったゆえ、常に後姿(負けて逃げる)しか拝見した事がなく
お顔を存じ上げませんでした」と慇懃に答えた。
・・・・・直江!!(愛)
どんだけ根性悪の口達者なんでしょうか。
基本的に伊達政宗が大嫌いな様子で、彼に対するイヤミはいつも冴え渡っております。
実は兼続は69歳という長生きをしているので(69という数字に何かを感じるが)
その活躍のほとんどは中年になってからです。しかしながら彼が幼少の頃から上様と
共に過ごしていて、18歳の時に家督争いが起きて軍師として上様を盛り立てるという、
ここ!!!この部分が最高にピンポイントで萌えではないでしょうか。
何度も何度も他の男に「俺のモノになれよ〜」と言われながらも「殿一筋ですので!」と
取り付く島もないほど簡潔に上様しか見ていない兼続。上杉家がバカにされると
黙っちゃいられない兼続。もともとは台所回りの世話をしていた役職の家柄だったのに
いつの間にやら一国一城の主となって上様のかわりにバンバン政治を取り締まっちゃうよ!
実は兼続は戦に関してはさほど評価されていないんですよね。でも何度も取り潰しに
なりそうになった上杉家を幾度も救ったその政治的手腕が評価されているようです。
また、上様も謙信公と比べられてしまって余り目立たなくなっていますが、
私は確実にいい男であったと思っております。笑わない男だったらしく(謙信のように
なりたいと思っていたため、あまり感情を表に出さないようにしていたらしい)
笑ったのは生涯ただ一度、猿が自分の物まねをしているのを見て大声を出して笑った時
のみだと言われています。寡黙な男が兼続にだけは心を許し、その全信頼を与えていたと
思うと武者震いするほど萌える!!!いいよ、殿!兼続の前でだけはにかむがいいよ!
もうほんとに織田信長と同じくらい数奇な運命を生き抜いたこの二人。
もっともっと目立っていいと思うのですが、養父が謙信じゃなぁ・・・。
誰かこの二人のラブラブエロい話を書いてくれませんかね。読みたい読みたい読みたい!
以上、兼続のあまりの殿ラブっぷりに乱心気味な卯月がお送りいたしましたァー!!