皆さんは乗っているバスが
道を間違えた事がありますかー!?
私はあります!( ̄▽ ̄)/ ←悟りを開いた顔
そんなこんなの卯月さんです・・・安静に暮らしたい・・・。
今回の日記はかなりフェチ度の高いもので、興味のない人には全く意味のない
ものとなっていますので、褌がお嫌いな方は回れ右して下さい。
また、萌えー!というよりも少し真面目なお話に近いです。
さて、最近出た本(?)でBL日本史というのがありますね。
日本の歴史をBLで読むという面白い本なのですが、ここに書いてあったひとつの
記述に卯月さんってば心を掠め取られたわけですよ。
キャッツカードもなしに・・・!(※別にうまくない)
いやね、だってね、歴史、そしてホモとくれば卯月さんじゃないですか。
うきうきしながら本を買ったわけですよ。そしたら別に目新しい事は載ってないし、
どう見てもこじつけっぽい記述はあるし、それはそれでBLっぽければOK!的な
ところもあるのでいいんですが、書いている人が男の人なのかどうにも文章が
読みにくかったんですよ。こう、真面目っていうか、お堅いっていうか。
ここが萌えるの!ってポイントなんざありゃしない。がっくりしつつもそれなら
歴史書としての資料的価値はあるのかって思ったら、それもない。行間も広いし、
書いてあることもそれほど深く掘り下げたものではないし、どちらかというと
文庫によくありそうな出来栄えなんですよねぇ・・・。ほんとがっかりだよ!(C:やっくん)
しかしながらBL歴史に浅い方には入門書としてうってつけかと。思いまして。
頑張って読んでみました。すると天草四郎の記述が載っているではありませんか。
以下、うろ覚え抜粋。
「天草四郎はもともと小姓か、あるいは小草履取りであったといわれている。
小草履取りは、美少年の接待係のことだ。普通の草履取りとは違い、
美しく着飾って主人の傍にお仕えする。性愛の対象でもあっただろう」
・・・・・・・・・えっ!?Σ(●□●;)
おおおおお、オドロキですよーーー!?(挙動不審)
天草四郎が小姓、あるいは小草履取りであったと言われてたなんて初めて聞きました。
まぁ私なんかは知らないことが多々ありますから、純粋に驚きましたよ。
うんうん、いい知識を入れさせてもらった・・・って、待て!
天草四郎といえばキリシタンたちを率いて一揆を起こした
「島原の乱」で有名な17歳(現在の年齢では16歳)の少年ですよ。
キリシタンですよ。
キリシタンといえば
ホモなんざご法度ですよ!?
小姓で、性愛の対象として仕えてた
なんてありえるの!!!!!????
と、いうわけで。
卯月さんのなんかの魂に火がつきました。
ここで天草四郎という人物を検証してみましょう。
彼はキリシタン大名である小西行長の遺臣であった浪人、益田甚兵衛好次の子供として
どこかで生まれます(※いや、諸説あって定まってないのよ、出身地が)。
(蛇足ですが長崎生まれというのが一番有力です。当時、生まれた土地で行うというさらし首が、
篭城した城のほかに長崎の港で行われたためです。お父さんも長崎で浪人時代を過ごしていた過去があります)
身長は155センチ程度。幼時より目から鼻に抜ける利発さの上に、眉目秀麗、一見
少女と見紛うばかりの容姿で、年と共に紅顔花の如き美少年と賞される才知溢れる少年です。
家族共に敬虔なクリスチャンで一説によると四郎は赤毛で異人とのハーフだったのでは
ないかと言われてもいます。そんな彼は天草でキリシタンの聖絵を配るなどして布教に努めます。
しかしその絵を貰った農民が家族ともども殺されたり、百姓の臨月の妊婦が水牢で出産、
子供ごとその場で獄死したことから乱が勃発します。(年貢を納めないと水牢に入れられた)
既に神童として名声高かった四郎は農民、そして浪人たちを率いて発起しました。
しかし農民たち3万7千に対して、幕府は正規軍を12万も率いて全滅に至らしめたのです。
・・・っていうのは、もちろん歴史の勉強として学校で習ったもんですね。
では四郎はいつ小姓として働いたのか、検証してみましょう。
卯月さん、調べました。それはもう、頑張って。
するってーと、確かに小姓として働いている記述が残っていました。
九歳になった四郎は加藤清正の家来で、須佐半之丞(※須左美権之允)と
いう人の小姓を勤めます。そして十二歳になって加藤家が没落するまで仕えました。
なぁんだ、四郎ってば小姓してたじゃん
というのはまだ早い(真顔)。
九歳から三年間。
実はこの期間というのは四郎のお母さんの証言によると如来寺に勉強に行っていたんですね。
十二歳で長崎に行くというのはどの歴史書でも共通事項なので、そこは間違いない。
じゃあ一体、九歳からの三年間、四郎は一体何をしていたんじゃっちゅー疑問が生まれます。
私はそこを紐解くための鍵は「加藤清正」の家来に小姓仕えした、という記述に
あるのではないかと考えました。加藤清正って人はね、ものすごい仏教徒だったんですよ。
キリシタン大名だった小西行長が亡くなった後、一度は天草の城主となった加藤清正でしたが、
キリシタンが嫌いなせいでわざわざ豊後鶴崎と領地を取りかえっこしているんです。
しかも幕府公認。それだけキリシタンが嫌いな人間の家臣が、いくら自分の小姓といえども
敬虔なクリスチャンを傍に置くでしょうか?しかも接待役?おいおい、まかり間違って
クリスチャンなことが接待した他大名に知れたら主ですらもキリシタンの疑いを
かけられかねませんよ。そんな状況下で四郎という人間を小姓にしたがるだろうか?
(さらに言うと加藤清正は四郎が生まれる10年も前に死んでいて、同じくらいの年に
天草の小西行長が持っていた城も取り壊しになっている。だが加藤家自体は息子が継いでいて、
ちょうど四郎が12歳の頃に取り潰しになっているので年数的には合わなくもない。
もひとつ余談で加藤清正は小西行長とは朝鮮出兵のときに先鋒をめぐって争うなど
犬猿の仲だったので、家来といえども小西の部下の子供を面倒見るのは嫌だったのでは?)
ってことは、やっぱり九歳で難しい経典を読み解いたという賢い我が子を勉強させに
如来寺に出したっていうほうがいくらか信憑性があるのではないでしょうか。
(ちなみに加藤清正といえば尾張名古屋城の建築にも縁有る人物。名古屋城に行く方はぜひ)
だいたい家族共にクリスチャンである彼が閨まで奉仕するとしたら確実に地獄行きだから。
・・・とはいっても、実は四郎は十二歳まで仏教徒として仏教を習い、
その後十四歳でキリスト教を習ってキリシタンになった、という説もあるんですよね。
うおおおおおお、わからん。
余計にわからなくなってきた。
もしも十二歳まで仏教徒として仏教を習っていたとしたら、小姓をしていても
なんら可笑しくない状態だったと思われます。その後キリシタンとなって自分の
所業(まぁ、男とセックスしたってことにしておきましょうか)を罪滅ぼすために
布教活動に精を出した・・・というのも一考の価値がありますよね。
うーん、うーん。どうなんだろう。
天草四郎は小姓として伽をしたか、否か。
それが問題なんだよ!ずっと私の頭を悩ましているんだよ!
時代的にはアリなんだよ!
でも、キリシタン的にはナシなんだよ!
うーおーうー・・・(頭抱)。
ちなみに筆者はこの戦いを「日本の伝統的ホモ(幕府)VS東アジアのホモ(一揆)」と
説いていますが、どちらかといえば「ホモ集団(幕府)VSアンチホモ集団(キリシタン)」と
いう図式のほうが合っているのではないかと思うのですが・・・。
いやね、時の将軍が三代家光ということが鎮圧に数万の軍隊を出した理由の
ひとつというのにはものすごい納得しましたよ。私もそう思います。
でもホモ大好き家光ちゃんが、アンチホモ集団のキリシタンたちを認めちゃえば
今現在受け継がれている衆道という行為自体が攻め立てられることに他なりません。
そうすると家光ちゃんの趣味が禁止されてしまうので、そういう行為はダメだと説く
キリシタンたちを弾圧したのではないかと。これが卯月的BL歴史論。
さて、そんなわけでいまだ私の中で決着がついていません。
BL日本史としては美少年が小姓をしていて、浪人たちのアイドルだったっていうほうが
萌えでいいんだけどさー。私もその設定大好きなんだけどさー。
(※卯月さんはけっこう天草四郎もののBL漫画とか持ってますよ)
まぁ、ちょっとまだまだ悩みます。うにゅ。