マイナー武将列伝


ここでは男色についての記述や、毛利三兄弟、山口の大名大内家について語っております。
大きな文字は史実を調べたおおよその考察を記述してありますが、小さな文字は私的考察です。
フォントサイズは「小」ないし「中」にしてもらえると体裁が崩れなくてとっても助かります。


大内義隆と 陶晴賢



大内家の殿様、大内義隆は 1507年に生を受けます。1551年には
謀反でお亡くなりになってしまうので、蘭ちゃんにはかすりもしません。
今回のもう一人の主人公、 陶晴賢(隆房)も1521年に生まれて1555年に
死んでしまうのでがんばって掠って信長です。そんな時代の二人の話が
今回のホモビアの中心となります。では、まず基本データから。
大内義隆は周防(山口県)の嫡男として生まれます。その当時の周防は
西の京と言われるほどに栄えていて、荒廃した京から公家の人たちが
流れてくるほどでした。それを受けて周防では京言葉をしゃべることが
基本になっていたようです。彼のお父さんは大内義興、家督争いで
大事な寵臣を2人死なせ、そして弟を追放させているかなりシビアな
人です。彼の跡を継いだ義隆は出雲の尼子氏と覇権争いをし、領地を
広げていきますが、やがて公家の影響で文弱に溺れ重臣陶隆房らの
諫言にも耳を貸さなくなっていきます。

戦国だから仕方ないんだけど、義隆のおとーちゃんはかなり血なまぐさい。だけどおとーちゃんの
おかーちゃん、つまり義隆のばーちゃんはお公家さん出だ。義隆はばーちゃんっ子だったと思われる。
微妙なところがこの陶隆房だ。実は彼、微妙に義隆と親戚関係があったりする。ややこしいぞ、
かなり心して取り掛かるように。とーちゃんの奥さん、つまり義隆のおかーちゃんは大内家に使えてきた
代々の重臣の血筋だ。内藤家という。この義隆のおかーちゃんの姉妹が義隆のおかーちゃんの
おとーちゃんの兄弟の子と結婚して、子供を生む。その子供がさらに子供を生んで陶家というやっぱり
大内家の大事な家臣の家に嫁ぐ。で、生まれた子供が隆房だ。つまり義隆と隆房は内藤家を通じて
親戚関係になるのだ。でもいくら親戚関係にあるといっても、家臣の血筋。謀反を起こしても自分が殿様に
なることはできない。哀しい戦国時代の定めなのだ。それでも隆房はとってもとっても美形だったので
この戦は有名になってしまうのである。ちなみに隆房をモチーフにした「近世説美少年録」という江戸時代
小説がある。ものすげぇタイトルで一瞬びびったが(笑)、内容はもっとびびるもので、隆房ともう一人の
美少年が男色のもつれで戦を起こすストーリーになっている。原文は読んだことがないが、性描写が
とっても写実的だ
というので参考のためにもぜひ読んでみたいと思っている卯月なのでした。



クーデター勃発


もう一方、陶隆房は大内家の重臣として周防守護代を務めた人です。
次男坊でしたが長男が不都合があって父に殺されていたため、後を
継ぐことになった美青年です。それはもうたいそうな美形で、幼い頃は
主君、大内義隆の小姓として寵愛されていました。けれど二人の関係は
義隆が側近の右筆、相良武任を重用した頃から崩れ始めます。政治が
乱れたために隆房は主君へ諫言しますが受け入れられず、結局
謀反を起こし義隆を自刃へと追い詰めます。
この謀反、実は三年前からずっと噂されていたもので、その間
主君の義隆が隆房を諌めれば事なきを得たのですが、義隆は
その噂を信じず隆房を討とうとしませんでした。
この時力を貸してくれたのが毛利元就です。しかし毛利は隆房を
策略に嵌め、結局自刃に追い込んで周防の国を手に入れます。
義隆が自刃した2年後、大内家は滅亡するのです。

もう陶隆房といったら稀代の美貌と有名ですね!!それがねー、謀反起こすんだよ!!一時はさ、
義隆と衆道の関係にあったくせにサ!それにしてもおにーちゃんの廃嫡の理由はいったいなんだったん
でしょうか??どこを調べてもわかりません。そりゃ、不都合があったからって理由なら、そんな不名誉な
もんを歴史に残したりはしないんでしょうけど。私的な萌えとしては当時から美少年で有名だった隆房が
義隆に仕えるようになって、隆房ラブ!なおにーちゃんが嫉妬に狂ったためにとーちゃんが滅殺したって
いうの希望です。お殿様のもんに手ぇだしたらあかんもんね。
今回は取り上げていない相良武任ですが、この人もなかなかにできる人で江戸時代には物語りの主役と
して本になってたりします。たぶん美形。だって義隆が寵愛したから(断言)。



毛利三兄弟基本情報


さて、萌えエピソードの前にもうひとつ、覚えておかなければならない
基本情報があります。それは陶隆房を討った毛利元就の三人の子供。
実は大内義隆が自刃する前、大内と毛利は同盟の関係にありました。
毛利は嫡男隆元を人質として周防へ送り込み、義隆もまた隆元を大変
かわいがったという仲のよさ。また、三男の隆景も義隆は愛でたそうです。
この毛利隆元はのちに陶隆房を討ちます。次男の吉川元春は実は
陶隆房の義兄弟です。小早川隆景は直接関係はしていませんが、
隆房を討つ厳島の合戦に参加しています。同盟を破って主君義隆を
自刃に追い詰めた陶隆房、義隆にかわいがられていた隆元、隆景、
そして隆房と義兄弟だった元春。なんだか戦国の哀しいさだめを
あらわしていますね。ちなみに隆元と隆景の隆の字はもちろん義隆から
偏諱を賜った(名前を一字もらうこと)ものです。偏諱を賜るのは
この時代珍しいことではなく、森蘭丸長定もまた織田信長から長という
字を貰っています。(※信の字をあげるといわれたが蘭丸は断った。
信の字を他にもらえたのは長曽我部信親のみと言われる)

ええーと、似たようなややこしい名前ばかりですいません。私のせいじゃないですが。毛利の三兄弟は
もちろん三本の矢で有名。萩にはこの銅像が残されていますが、子供の姿でかわいらしいです。でも
この逸話は正確にはもう彼らが大人になってからの話なので銅像はかなり捏造されたものってことです。
まぁ、子供のほうがかわいいしなんか説得力あるからそっちのほうがいいだろうって銅像作るときに
なったんだろうけど、これってかなりな捏造だと思うんだよね。ってか、少なくとも観光客は子供のころに
こうやって教えたんだろうなって思うだろうし、萩の子供たちもだまされたんではないかと思う。第一、
子供の頃は隆元さん人質になってるから実家にいねぇっての。義隆さんの丸秘テクニックにあんあん
言わされて男色の限りをつくしてた頃だっつーの。
三本の矢も義隆さんなら勃起したナニで折ったかも。



謀反の真相?


義隆は女色よりも男色のほうが好きだったそうです。当時、女とする
のは子孫を残すためで、本当に大事な恋愛とかセックスっていうのは
男とするものだ、といった風潮があったせいもあります。これは、女性の
地位が低くなればなるにつれて流行っていった考え方のようです。
まだ若かった陶隆房は五郎と名乗っており、大内義隆の寵童として
伽をしていました。当時14歳。義隆との年齢差は14歳。たして28歳。
28歳と14歳のラブ・バカンスです!!そんな二人の関係は五郎が
大人になり小姓を退職してからも続いています。義隆はしばしば
隆房の住む富田若山へ通い、一夜をともに過ごした履歴が残って
います。この距離、兵馬で5時間もかかるという相当なもの。かなり
気合を入れてヤりにいっていたようです。場合によっては途中の
寺院で落ち合って逢瀬を楽しむこともあったそうです。ラブラブと
いうよりもむしろやりまくり。そんな義隆さんは愛する隆房さんに
こんなラブ歌を送っています。

もぬけなりとせめて残せば空蝉の世のならいとも思いなすべし

急いで城に帰らなければならなくなったとき、別れも告げられずに
明け方立ち去った義隆が名残惜しんで詠んだそうです。
こんなラブラブの二人がちょっとやそっとで不仲になるわけがないと、
若いときに義隆の寵愛を受けていた隆房が、その愛が相良武任に
奪われてしまったことに腹をたてて謀反を企てたという説があります。
嫉妬のために謀反する。当時の男色では当たり前だったそうです。

義隆のおっちゃんはかなりの好き者です。女色も楽しみましたが男色もかなり楽しんだ様子。それはさらに
下に書かれた文でお分かりいただけると思いますが、その前に。わざわざ九里も離れてる城まで馬を
走らせてなにするってエッチするだけじゃねぇかーー!!アホかーーー!!殿様、暇じゃないんだから
セックスのためだけにぼちぼち城あけてんじゃねぇよーーー!!っていうか、ナニ、ナニ、なんなのその
歌は。昨日の晩は楽しかったねー、朝起きたらふとんがもぬけのからになってたからってさびしくなっちゃ
だめだよ☆しょうがないことなんだからサ☆でも僕も寂しいからせめて歌を送るよベイビー!って陶ちゃんの
床技にメロメロしてる場合かーーー!!!当時おっさん、三十代はくだらねぇぜ?陶ちゃんはまだ二十代で
ぴちぴちだからよしとして。子供をあやす奥さんに「すまん、上様から呼び出しがかかった。ちょっとエッチ
してくるから後頼んだ」って言って出てきたのかしら。城主と城主代理なんだからお互いの家臣にも言って
いったはずよね。ともすればお供もいたりなんかして、寺で二十歳過ぎた男どもが「おらおらおら!」
「あんあんあん!」って言ってたかと思うとちょっと笑える・・・。ほんとに嫉妬で謀反したんじゃねぇのか・・・?



色狂う義隆の毒牙にかかる毛利三兄弟


義隆は美貌の青年隆房だけに飽き足らず、当時同盟を組んでいた
毛利の長男隆元にも手を出します。彼は五年ほど周防に滞在して
いますが、義隆は彼をたいそう大事に扱ったそうです。義隆といえば
何人もの美少年を侍らせ、熱を上げていた人の代名詞。陶や隆元
だけではあきたらず、その弟の隆景にまで触手を伸ばしています。
この三人の接点、わかりますか?そうです、隆の字をもらってます。
どうも義隆は自分が愛した(伽させた)相手には隆の字をあげまくって
いた様子。変なところで性癖が明るみにでてしまいましたね。
陰徳記などには「又四郎隆景は、容姿甚だ美なりしかば、義隆卿
男色の寵愛浅からずして」とかかかれてます。ぶっちゃけ男色のって
限定されています。
相当な美少年だった隆景さん、同じように
かわいがられた隆元さん。では、次男の元春さんは・・・?実は彼は
義隆のツボの美少年ではなかったようです。美形には違いないん
ですが(なにせ毛利一族みんな美形なので)好みではなかった
みたいです。そこで当時寵愛されていた相良武任さんが次男だけ
ほったらかしにすると毛利との仲が悪くなるので、陶と義兄弟に
させてはいかがでしょうと進言します。これは諸説あって、隆房の
ほうから打算的に近づいた、というものもあります。どちらにしろ
馬のあった二人ですから、ほどなくして義兄弟の契りを交わします。
その証が馬と刀で、互いに贈り合ったといわれています。

元春ちゃんは義隆のツボには入らなかったようですが、隆房のツボには入ったようです。義兄弟と
してだけではなく、そこに愛があったと考えると切なくなりますな・・・。そんなこんなで隆元とは五年も
エッチしてたっぽい義隆さん。さらに美貌の弟、隆景も交えてまさに兄弟どんぶり。もうあの手この手を
使って美少年ハーレムを作っていたんだろうなぁ。余談ですが隆景は生涯正妻一人しか持たず、
子供に恵まれなくて養子を取った人ですが、その養子というのがこれまた美形で(毛利元就の息子。
つまり実は異母兄弟を養子にした)、あの秀吉にすら寵愛(※伽含まず)されたというから毛利家恐るべし。
考えてみたら大内義隆の周りって美形だらけ。曲がった視点で見たりすると、寵愛が移ってしまったことに
嘆いた陶が謀反を起こし、それを知った隆元と隆景が愛する義隆のために仇討ちした。・・・ってな歴史に
変換することができて二度美味しい。義隆さんったら罪な男・・・45歳、男盛りだもんな。


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