前置き


ここでは戦国時代の小姓のことや森蘭丸について語っています。
大きな文字は史実を調べたおおよその考察を記述してありますが、小さな文字は私的考察です。
フォントサイズは「小」ないし「中」にしてもらえると体裁が崩れなくてとっても助かります。


信長の近習



織田信長の小姓、つまり近習(吏僚や馬廻からも選抜されていたらしい
ですが同意語ではないとされています)とはなんだったのでしょう。
前回、小姓というのは身の回りの世話をする人のことで、エッチの
相手もしていたんだよーと書きましたが、小姓さんはそれ以外にも
いっぱい仕事をしまくってます。24時間営業です。大変です。
なにせ秘書なので副状の執筆(信長の文にさらに書状を添える)やら、
客への取次ぎやら、その客のもてなしやら、どっか遠くまで信長の意思を
伝えにいったり(現在でいう出張だろうか)、戦のときには参謀だったり
スパイだったり監視役だったりしなければならなかったんです。
しかも殿様は気分屋ですぐ怒る信長とくれば、気苦労は二倍。
そんな信長の近習たちは優秀なものしか生き残れないシステムに
なっていたのかもしれません。だからこそ信長の近習の多くは
天下に名をはせた有名人になったわけですね。

身体がもちません。なにがって、小姓さんが。24時間営業のコンビニエンス秘書に殿様の世話して
伽までしてたなんて、いくら15・6歳の若いにーちゃんでもちょっと貧血のひとつやふたつ起こして
しまうもんでしょう。だから戦国時代は小姓をたーくさん侍らせていたわけですね。別にけっして自分の
好みの子を集めてハーレム作って今夜はこの子v明日はこの子vと色欲におぼれていたわけでは
ないのです。うーん、多分(笑)。体力ないとやれない仕事、まるでガテン系ですな。・・・妄想には向かない。
あえて信長の近習と銘打ったのは信長の小姓やるのが一国つぶすより大変だから。もうそれはもう
かなり大変だったんだよ!!逸話見ても、信長様ったらいぢわるばっか!蘭丸じゃなくてもうわーん!って
なきたくなるっちゅうの、ってくらい手薬煉引いて小姓たちを困らせてます。でも今から考えると・・・
風がこなーい!って信長が言えばみんなで障子破って、明日は遠足なのに雨なの?いやだー!って
言えばみんなでてるてるぼうずをつらす。こんな情景、笑えません?



男色の始まり


戦国時代、小姓遊びは嗜みのひとつとされてきました。するほうは
いいけれどされるほうはとっても大変。殿様の大事なものをおイタ
しないように作法のひとつも学んでおかなければならないわけです。
では、そもそも男色はいつから始まったのでしょうか。古い記述では
日本書紀にホモっぽい二人がいたりします。本文読むと「穴」とか
連呼していますが別にお尻の話じゃなくて、墓のことです。
一緒の墓に入りたいんだー!というわがままでのろわれる話ですが、
興味のある人は「日本書紀」「往生要集」「宇治拾遺物語」などを
図書館などで読んでみてください。もともと、男しかいない場所、
つまり罪人の牢だとか僧院だとか、そういった場所で男色は発生
したといわれています。しかし先天性に性同一障害などを持った
子が生まれ、そういう子たちが男色行為に走ったとされているので
上記以外でも史実にたびたび出てきます。それが日本書紀・・・
らしい(笑)。あくまでらしいので、申し訳ないですが。

僧院などで発生した、となると日本では日本書紀が書かれた後の、遣唐使以後じゃないと男色は
なかったことになってしまう。だってそれまで僧いなかったんだから。もちろん、空海が男色を持ち帰った
というもっともらしい説もあるにはある。もともと日本なんてやおろずの神様信じてるんだから、そんなかに
男色の神様がいたとしたって不思議じゃないと思うんだけど。とくに昔は早死にだったから、若いうちの
結婚はあたりまえで、14〜18歳なんていったらやりたいさかり、木の股でもヌくっちゅう年頃なんだから、
綺麗なにーちゃんが据え膳でいたら食うでしょう。もともと人の顔の美醜は生殖本能の一部で、オスの気を
引くためのものと考えられているんだから、男がたとえ男であったとしても綺麗な顔にふらついてしまうのは
仕方のないことではないかと言える。でもこんなに長い間少年愛が脈々と続いてるんだから、日本の男の
八割はマザコンで、五割はショタコンではないかと卯月さんは思うのであった。



陰間茶屋設立


平安時代にも大流行した男色。それは信長たちの時代をぬけて
江戸にまで勢力を広げていきます。この頃になると女性たちは
商売として抱かれる、遊女という商売をこなすようになってきます。
しかし避妊もしっかりできないこの時代、不特定多数の相手と
交わりを持つ遊女は妊娠やら堕胎やら、大変だったと推測されます。
しかもおろさせるためには痛めつけたりする場合もあったので、
そこで死んでしまう場合も多数ありました。客間に上がれる
遊女の手数を増やすため、少年に女装させて女の代わりを
勤めさせる陰間がここで登場します。ここで登場といっていますが
男色を商売にするのは平安時代からあったことなので初めてでは
ありません。あくまでも、売ることが目的の茶屋ができたという
意味です。彼らは歌舞伎の舞台で女形を演じ、そのまま客に
買われていくというシステムがあったため、「ぶたい子」や
「色子」などとも呼ばれていたそうです。色子は少年から青年まで
多数揃え妊娠する危険もないからがんがん稼ぎ、とっても
都合のいい商売であったようです。江戸期には陰間茶屋という
ホテル(性感ヘルス?)みたいな売春宿がはやりました。

昔の歌舞伎役者さんたちは女形を上手く演じるために男に抱かれるという話もありました。ま、それが
どこまで本当のことかはわからないけれど、とりあえず陰間茶屋はかなーり大好評だった模様。やっぱ
日本人はホモOKな血が流れてるんだって。まぢで。でもさー、客のほとんどが僧侶だったって、てめぇら
色欲捨てたんじゃねぇのか!って感じです。平安時代は少年愛がはやっていて、自分の身の回りの世話を
させている少年を対象にいたしていたらしい。小姓に通ずるものがあるかな。男は嗜み。うふv



蘭丸は乱丸


有名な話ですが、森蘭丸長定は蘭丸ではなく乱丸が本当の字です。
私は別にこだわらなくたっていいんじゃないかなぁ、と思いますが、
本人直筆で乱丸って書いているので本当のようです。でもこれには
手紙を送ってきた相手が間違えていたが、指摘するのは失礼に
あたるので相手に合わせた、という逸話も残っているようです。
蘭丸の字は死後に洋蘭が入ってきて、作られたみたいです。
でも定着してるんだから蘭丸でいいじゃない!っていう世の中で
あれば私は楽です(泣)。ちなみに卯月さんは妄想のために
蘭丸とします。文句がある人は最初に蘭丸っていった人にどうぞ。

さすが蘭ちゃんは出来る子です。卯月さんなんか卵月さんって書かれたら怒り出します。いや、実際に
間違われるんだけどサ(泣)。あえてでかくくくったのは先にいっておかないと怒られそうだったから(誰に)。



森蘭丸長定という人


織田信長の小姓として本能寺の変に消えた、有名な美少年近習です。
でも、上様との肉体的関係はあったのかなかったのかどちらも資料が
ありません。どこを探してみてもなかったんです。くっすん。でもあった
と見るほうが多い模様。当時の風習から、また女しかだめだった豊臣秀吉
とは違い信長はそっち方面を嗜んでいたらしい記録。ここらへんが
決め手になっているらしいです。森蘭丸は乱法師などと呼ばれ、父に
有名な織田家の家臣、森三左衛門可成を持ち、母は本願寺の尼僧に
なった妙向尼です。幼い頃に戦で一番上の兄と父を亡くし、跡を継いだ
二番目のお兄さんである森長可はよく打ち首にならなかったなと
思われるほど重罪を犯しまくり、森家を盛り立てるのも楽ではなかった
ようです。蘭丸は信長の大事な寵臣として一度も合戦に出たことが
ないのに城を貰ったりしています。結局蘭丸は18歳で死んでしまうので
一度も城には戻れなかったわけですが、弟が跡を継いでいます。
若干13歳にして信長の小姓になり、その機転のきく頭のよさを
買われて奏者として抜擢されます。その二年後には副状を発する
役目を、さらに一年後に領地を貰い、そのまた一年後に岩村城を
貰います。5万石の立派な大名!18歳なのに!しかしその約
二ヶ月後には若い命を明智光秀の謀反で散らしてしまいます。
(※詳しくは逸話にて)

もうとんとん拍子に出世していってます。これには鬼武蔵と呼ばれた武将、兄の長可の活躍も
あるんですが、やっぱり蘭ちゃんの才能がものをいったかんじですな。時を同じにする万見仙千代と
いう小姓も才能を認められて寵愛されていたし、信長は才ある人を盛り立てたみたいです。サルも
足軽だったし、やっぱり出るクイは引っこ抜いて自分のものにする、ですな。蘭ちゃんについては
調べたら調べただけぼろぼろと話が出てくるのでまとめられましぇん(汗)。もういっそ逸話やらあたしの
持ってる蘭丸像を小説にしたほうが早い!ってことで、逸話集に続く(笑)。


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