前置き


ここでは戦国時代の小姓のことや高坂弾正昌信について語っています。
大きな文字は史実を調べたおおよその考察を記述してありますが、小さな文字は私的考察です。
フォントサイズは「小」ないし「中」にしてもらえると体裁が崩れなくてとっても助かります。


寵を受ける



戦国大名など、支配階級に愛されることを寵を受けるといいます。
寵愛は基本的に可愛がる、大事にするという意味に使われますが戦国時代では
当たり前のようにセックスの相手として指していました。これ(伽の相手)は
小姓として大事な役目。戦場には女を連れていくことができず、一ヶ月ないし二ヶ月、
一年ないし二年など長期に渡って布陣する場合殿様はセックスすることができないわけです。
そんなモンモンとした脳みそで戦略を練ってもいい策など
生まれるわけもなく。イライラのたまってきた大名の性欲処理を、
寵愛を受けていた武将の一人が身体で慰めたことが始まりと言われています。

普通身体で慰めようとするか?っていう話になったり。これって実は色好みの大名にお前、ちょっと
挿れさせてくれよって言われてしぶしぶ相手したっていうほうがなんか妙な説得力あると思わんか?
江戸時代なんてあの伝統的帯でくるくるああーーれーーーな悪代官も出てくることだし、
えらい人が権力を笠に自分の好みの相手を好き放題弄り倒したってありえそうなんですけど(笑)。
男色が当たり前だった時代、やおらーには溜まりませんなぁ。



戦の時だけ性欲処理?


ここで疑問。ならば小姓は戦のときしか殿とエッチしなかったのか。答えは否。
まるで日常生活の世話をするのと同じように、寵を受けた小姓は夜のお相手も
勤めていたのです。ここで終わったらただのホモの話かよ、ということになってしまいますが、
戦国時代にはもっと大事な意味も含めて小姓とセックスしていました。
それは歴代有名武将の小姓がのきなみ家臣として出世しまくっていることからも伺えます。
もともと小姓として大名に仕えていた少年たちは部下の有力武将たちの子供で、そのほとんどは
人質としての意味を兼ねていました。もちろんタダ飯食らわせるわけにもいかないので、
表向きは大名の身の回りの世話をする係りとして。で、当然この小姓とは、イコール、
セックスという裸のお付き合いをすることになります。
武器を持たない裸体で
殿に仕えることで信頼関係を築き、自分が裏切らないというアピールをしていたわけです。
裸で仕えてくれる部下に対し、大名も信頼を置いて寵臣として出世させていくわけですな。
擬似恋愛的な要素が絡んで、セックスした相手に情が湧くというか、
そんな感じで互いの絆を深めていたらしいです。だから殿の寵を受けるということは殿の
信頼を受けるということ。自分に対して牙を向かない部下を子供の頃から育てる意味をも
小姓というシステムはもっていたわけですね。

まさに裸のお付き合い。漢と漢のぶつかり稽古ってなもんです。ってことは、お相撲さんはかなりの確率で信頼関係を
築いていそうですね。でもそんな話は微塵もでてきてねぇやってことはやっぱりないんだろうな。しくり。
まぁデブ専の話はおいといて。寵を受けた小姓のみってことは、当然見目麗しい男の子のみ伽ができたってことです。
醜い奴とかごっつい奴は当然ながらお払い箱。出世も出来ずいち武将として終わるわけですね。
まるで昭和枯れすすきです。寺の稚児も同じように見目麗しいものだけを集めて構築しています。昔っから美少年は
持て囃されたんだなぁ。今時分でいうと一時期のタッキーや光一、三宅健のような美少年ばっかりだったって
ことでしょうか。そりゃ男相手なのにさらに不細工ときた日にゃちんちん勃たねぇよな。納得。



奥さま公認?


しかしこのシステム、奥さんは何もいわなかったんでしょうか?・・・言いませんでした。まったく。
なんにも。だって上のような事を含めて寵愛しているわけだから、タダ単にセックスしてるわけじゃ
ない
ことは奥さんもわかっていたわけで、これをとがめるということは部下と袂を分かつ
いうこと。奥さんも認めざるを得なかったんですね。いい時代だ、戦国時代・・・。
奥さん公認ホモだよ。イヤッホォーイ!

もちろん大名によっては奥さんだけを大事にした人もいるかもしれません。でもそういう人は大きな功績を
残さなかったわけね。だから有名にもならずに歴史の渦へとさようなら。ホモじゃないとダメなんだよ、この時代。
いい部下作るには寝技が重要だったんだよ、この時代。最高!マーベラス!じいいーーん。ってことはだ、
大名は奥さんと子作りしながら小姓にも突っ込んで・・・非常に体力があって腰の強いグラインドの
すばらしい(※卯月さん推奨)方ばかりだったわけですね。じじいになっても色ボケしてたわけだ。



昔と現在の意識の違い


現在、同性愛というとどうしても日陰な話に思えてしまいますが、昔は趣向のひとつとして
同性愛があったわけです。ようは、サーフィンやるぜ、とかダイビングが趣味なの、と一緒。
ちょっと男とヤってくる、てな軽いもんだったわけです。特に権力者はね。
昨今での嫌悪はキリスト教の教えが入ってきた頃からの認識になったと言われています。
子供を作るという目的以外のセックス、つまり快楽だけを主張したセックスは罰せられるべき
行為だとされる宗教の影響で、陰間、稚児などは規模収縮していきました。
日本なんて昔っからホモまみれだったのに今更掌返してもなぁ、と思ってしまうのですが。
今でも鎖国をしてたら当然のように陰間茶屋の存在する日本のままだったかもしれません。

陰間さんは陰間さんで大変だったようで。江戸時代、セックスの手ほどきの本を子供に読ませていたとは
けーさんの弁ですが、陰間は尻の穴を広げるためにそういう薬やら道具やらを使って水揚げ前に準備していたと
いうのは卯月さんの弁。薬は漆じゃないけど、そういったこそばゆくなる粉を用いて奥を引っかいて
もらいたくなるようなブツを使っていたらしいです。道具はまあ・・・うん、ソレ(どれ)。
ずっとケツに入れといてがんばって広げていたらしい。身体でお金稼ぐって大変だなぁ・・・(泣)。
まぁ江戸時代は緊縛絵図とか売れまくってたらしいし。性がグローバル化してたんですな。
しかし戦国時代とはまったく関係ない話だね。



高坂昌信という人


武田信玄は有名。じゃあ高坂昌信という人は?
正式名称は高坂弾正忠昌信といい、地元の豪農・春日大隈の子として生を受けます。
幼名は源助、源五郎、昌宣、晴昌、晴久、虎綱、弾正忠。高坂と名乗った後には
もう一度春日の姓を名乗ります。16歳の時にお家騒動が起こり、そのとき
武田信玄に美貌を見初められ小姓として出仕するようになったそうです。
元は百姓(?)なんですね。使い番を経て、1552(天文21)年に信州小岩岳城攻略の
殊勲者として侍大将に抜擢されます。この時22歳(26歳のときだという説もあり)。
美貌の青年は天文年間の末期に信濃国小諸城の城代、永禄年間初期には海津城の城代に
出世して小姓という役から撤退します。(戦国時代、小姓を引退するのは侍と
認められたとき、おもに城を任されたときとされていたようです)
1561(永禄4)年の川中島合戦(第四回)で功績を挙げ、さらに信玄との絆は深く
なっていきます。三方ヶ原の合戦で徳川家康を破って浜松城に追い込んだ折、
みんなが「今こそ浜松城を攻め落とすべし」と唱えるのに対し、高坂はただ一人で
「深追いは避けるべきだ」と主張します。この時、信玄でさえ高坂の案に従い
徳川家康は事なきを得たわけです。また、三増峠の戦いでは信玄の策は無謀だったと
責め、信玄に「この戦いの勝利をどう見るか」と聞かれ「ケガの功名でございます」と
答えたそうです。このように、高坂は信玄に対して歯に衣を着せぬ言葉尻で接してた
ようですが、それは信玄の小姓だったからだ、と言う人たちもいたようです。

重要ポイントを軽く流してはだめですよ!!16歳のときに美貌を見初められるんです!しかも信玄じきじきに!!
ここ、ここが萌えポイント!JUNE試験にでるよ!もうそれからヤりまくり乱れまくり汁垂れまくり(下品)な
生活を送るわけですよ。でもそれだけでは20歳すぎたら捨てられるかもしれない。信玄の傍で兵法などを学ぶ
いい機会を逃さずゲッツ!尻ばかり使わず頭も使っていたんですね!そして細かいエピソードから信玄が高坂に頭が
上がらなかったかもしれない疑いも浮上。よほどの床上手なのか!?16歳ってのはいささか小姓にしては遅めな気も
しますが、勉強大好き高坂くんだからきっと夜のお相手するときも四十八手とか研究して殿(信玄)に仕えてたんだろう
なぁ・・・・はっ!!その前、その前にお家騒動の前から親戚に手ぇ出されて手管になっていた説を希望!!(挙手)



保科弾正槍弾正、高坂弾正逃げ弾正


しかしながら、それだけで果たしてこの異例の出世を行うことができるでしょうか?
高坂は「甲陽軍鑑」という武田信玄・勝頼の二代にわたる事績・合戦・刑政・軍法を
記述した書物の作者であると言われています(※通説。異論もあり、小幡勘兵衛景憲が
書いたという説もある)。そこで高坂はこう呼ばれています。「逃げ弾正」。
これは作者である高坂が自ら謙遜してこう呼んでいたといわれていますが、
「逃げ弾正」とはいっても、冷静沈着に戦の状況を見極め、情報を集めて分析し、
けっして強引な戦いをせず慎重なことの運びで勝利を収める
ことからついたあだ名です。
保科正俊の「槍弾正」、真田幸隆の「攻め弾正」と並び「逃げ弾正」は、戦国の
三弾正とされています。つまり、弱くもなければアホでもない。この出世スピードは
彼自身がもつ戦の才能からきていたわけです。信玄もそこまで色きちがいじゃなかったって
ことで。
また、それを示すもうひとつの証拠は高坂が武田軍の殿軍将として任命されて
いたことです。殿軍というのは戦場から撤退する際、味方の軍を敵の軍の追撃から
守るために、最後尾から撤退する役割を持つ軍のことです。ここがどれだけ大事なポイントかは
いわずもがなな事ですね。殿軍が崩れたらもうおしまい。全滅もありえます。追撃をかわしつつ
全軍を安全な場所へ移動させ、自らも少しづつ後退してゆくという難しい役どころは非常に
力量と経験を必要とする隊でした。若き頃の信玄が北信濃での敗戦撤退の時に、追撃によって
被害が増大したことを反省して、もっとも信頼できる高坂を殿軍の専門職に
任命したのです。この信頼を築くことこそ、小姓時代の大事な使命でもあったわけで。
二人はラブラブだったかいがあってお互いのもっとも大事なポジションをゲットすることが
できたわけですね。愛だわぁ。
また、高坂は人徳も非常にあり、戦が終わると敵味方関係なく墓を作り弔ってやったり、
武田軍滅亡のきっかけとなった長篠の戦いでは兵を連れて途中まで迎えに行き、
武具・衣服を着替えさせて敗軍のみじめさを感じさせないようにしたという心配りの出来た
人間だったそうです。
(長篠の戦いは上杉との国境である海津城を守るため不参加だった)
信玄も思わず惚れる美貌と、寵臣の地位に甘んじない才を発揮し武田家を盛り上げた高坂。
・・・信玄が浮気したときにおかんむりになって嫉妬の手紙を送った人と同一人物とは
思えません(笑)。

こんな高坂ちゃんだから部下も他の人もメロメロラビューン。きっと求愛はたえなかったに違いない。
「・・・とのッ!」「あっ、何をする!袴に手をつっこむでない!」「し、しかし!私のものはこんなにも
猛っておりまする!」「いかん、わたしには上様(信玄)が・・・・」・・・・・と、妄想の幅がいっきに
広がります。もういっそヤラれてしまえ。そして情事の跡を殿(信玄)に見られやきもち妬かれてさらに
激しい夜になるんですよ!!!!(力説)←その頃には小姓の役は降りてるって。


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