森長可異聞
- NAGAYOSHI MORI -

第一章   


闇夜の中の月の如く





美濃金山城に訃報が舞い込んだのは数日前のことだった。
四月に長男、伝兵衛可隆を朝倉軍との戦いで亡くしたばかりだというのに、
九月の半ばにまた父、三左衛門可成を宇佐山攻めで亡くしてしまった。
まだ残暑の名残深い金山城はその報せに水を打ったように静かになり、そして動揺した。
それというのも残された家族は次男、勝蔵が十三歳、三男蘭丸以下は
六歳にも満たぬ幼子のみだったからだ。
さらに母の腹には六男が育っている。
その状況下で城主を失うというのは森家にとって手痛い事実であった。
天下の覇龍、織田信長の家臣であった父の遺領を継ぐべく白羽の矢を当てられた勝蔵は、
明日の元服を控え夜半になってから一人で領地奥の滝へと足を運んでいた。
戦国の世の武将の息子であれば悲しむ暇など与えられぬ。
そう育てられてきたものの、勝蔵は断ち切れぬ悲哀を身に持て余していた。
勉学に秀で、自らを模範として勝蔵を導いてくれていた兄が死んだ時、
勝蔵は世の儚さを哀れ嘆いた。
そしてもう二度と親しい人を亡くしたくはないと剣の稽古にあけくれていたというのに。
勝蔵は間に合わなかったのだ。
父の死に。
それが悔しくもあり、己の無力さに呆れるものでもあり、ただ悔恨ばかりが募ってゆく。
「・・・・我らが金山の守神よ・・・どうか、もう二度と俺から大事な人たちを奪っていかないでください」
勝蔵は祈る気持ちでそう呟きを漏らし、夏から秋へと移り始めた寒空の中滝へと足を進めた。
ひんやりとした川の水はまだ夏の水温を保ってはいるが、
そこを吹き抜ける風は容赦なく体温を奪ってゆく。
それでも勝蔵は身の内に沸きあがる不安や恐怖から逃れようと禊を決意した。
着込んだ黒い装束を乱雑に脱ぎ捨てると下帯だけの姿になって滝つぼへと向かう。
兄も父も失った勝蔵に縋れるものは最早神しかいなかったからだ。

木々の隙間から零れる月光が僅かな雲の合間に入ってしばしの影を落とす。
水面を切って向かった滝つぼは少しだけ深くなっていて勝蔵の足を捕らえた。
「くッ・・・・」
苔が容赦なく生えた岩に引っかけたつま先が水面下でずるりと滑る。
あと少しで滝つぼだというのに。
勝蔵は必死に両手を広げて滝を落ちる水に掴まろうとした。
掴まえられるはずはないのだが、とっさの動きというのは制御することが出来ない。
勝蔵は両腕を広げて滝へと手を伸ばしたまま背面へと水に向かって倒れていった。
ゆらり。
ゆらりと。
湖面が揺れて辺りの風景を映し出している。
ああ、なんて綺麗な処なのだろうかと、勝蔵は思った。
父や自分たちが愛する美濃金山はこんなにも美しい領土なのだ。
守りたい。
自分の力ある限り精一杯この場所を守りたいと。
勝蔵の胸に熱い気持ちがこみ上げてくる。
「・・・・・ああっ!危ない・・・ッ!」
そこへふいに声がかかった。
勝蔵はぎょっとしたが倒れ掛かっているため、声をかけた人物のほうを振り返ることは出来ない。
そのまま背面からばしゃーんと水柱をたてて滝つぼ近くに沈んでしまった。
ごぼごぼと自分の周りから空気が上へ立ち上ってゆく。
それに逆らわぬように力を抜いていたら勝蔵の身体はすぐに水面上へと浮上した。
「・・・・っ、ぷ、はっ・・・・ぁ」
まだ十三のしなやかな肉体が弾けた様に上半身を起こす。
少し水を飲んだが慣れ親しんだ川での出来事だ。
さほど衝撃も受けずに済んだ。
しかし水に突っ込んだせいで髪を結っていた紐は解けてしまっている。
乱れた長い黒髪が肩や頬にべっとりとはりついて気持ちが悪い。
そこでようやく勝蔵は声をかけた人物のほうを振り返った。
こんな夜中に水辺に来るなど勝蔵ほどの物好きでなければ考えられない。
しかし美濃金山にはそんな人物の心当たりなどなかった。
「・・・・ああっ、大丈夫かい?溺れたりはしていないかい?」
ばしゃばしゃと。
衣服を着たまま勝蔵のほうへ走り寄ってくる男性。
彼は流された勝蔵の髪を結っていた紐を掬い上げると
座り込んだままの勝蔵にそっと片手を差し出してきた。
「掴まっていいよ。・・・あ、それとも腰か何かを打っていて立てないかい?」
勝蔵は差し出された手を一瞥してから男性の顔をゆっくりと仰ぎ見た。
その瞬間、月光を遮っていた雲が晴れて黄金色の光を湖面へと落としてくる。
月明かりを背に浴びる男の髪はまるで金糸のようにきらきらと光り輝いていた。
自分よりも年上だろう相手は随分と背が高く見える。
「・・・・・・・・・無礼者!」
ふいに勝蔵がその手をぱしんっ、と叩き払った。
手を打たれた相手のほうは驚いて目を丸くしている。
「俺は美濃金山が城主、森三左衛門可成が次男、勝蔵であるぞ。上から見下げるとは何事か!」
勝蔵は今の今まで潤ませていた瞳をきつく吊り上げて男性を睨み上げた。
男が知らぬ顔であったからこそ虚勢を張らねばならない。
これから城主になろうという者がどこの馬の骨ともわからない男相手に
見下ろされるなど言語道断だった。
一頻り啖呵を切った後、勝蔵は自らの手でゆっくりと立ち上がる。
しばらく呆けていた相手はその様子を目にして苦笑を漏らすと伸ばしていた手をそっと引いた。
「申し訳なかった。そうか・・・君が継子の勝蔵殿だったのか」
勝蔵の正体を知ってなお、男はひれ伏す様子なく口端を緩く笑ませている。
その様子に益々勝蔵は苛立ちを覚えた。
出来ればこの夜だけは一人きりにしてもらいたいのだ。
明日からは傷心を引きずるわけにはいかない。
だからこそ今夜中に自分の心に決着をつけねばならないのだ。
しかし男は勝蔵の心中を知ってか知らずか退く気はないらしい。
手にした紐の結び目を解きながら流暢に口を動かした。
「まだ名乗っていなかったね。僕は君の姉御と婚約する予定の、関小十郎右衛門共成という者だ」
「えっ・・・・!?」
その言葉に驚いたのは勝蔵のほうだった。
「関の・・・共成・・・」
自分で言葉に出してみるとその実感がひしひしと沸いてくる。
関共成とは勝蔵の姉と婚姻する予定の男で、主を失った森家を支える重臣の家だ。
しかも自分の姉と結婚する相手であれば相手は義兄ということになる。
手を打ち払い、無礼を働いたのは勝蔵のほうだった。
「も、申し訳な・・・」
「よいよ。気にしていないし、これから兄弟になろうとする者同士だ。
堅苦しくせず、楽に話そうではないか」
そう言って笑う共成の顔は穏やかなまま月明かりに照らされている。
勝蔵はついつられて頬を緩めてしまった。

「本日は勝蔵殿の元服祝いに馳せ参じんと駆けつけたのですが、慣れぬ土地故、
道に迷って今時分になってしまったのですよ。本当ならばもっと早い時間に金山城へ
着いている予定だったのですが・・・・・でも、おかげで一足先に勝蔵殿とお会いすることが出来た」
言いながら共成は勝蔵の手を取るとゆっくり岸辺へ導くように歩き出した。
共成の関家は森家と同じく美濃に城を持つ武家で、森家に従ずる大事な跡取りだった。
平家を先祖とする関家と源氏を先祖とする森家。
このニ家が力を合わせることで更なる武勲を上げられようぞと、
勝蔵の父と共成の父が自分の子供の婚姻を近いあった。
共成は拾い上げた紐を片手に持ちながら、それをきゅっと軽く握り締めた。
先ほど勝蔵が川で転びそうになったあの時。
相手が誰だかはまだわかってはいなかったが、その姿に森家の家紋である鶴の丸を見たのだ。
長い手足が弧を描くように滝へと伸び、漆黒の長い髪が風に靡いて白い肌を彩っていた。
天女などではないとその骨格からして理解できたが、それでも錯覚してしまうほど美しい光景だった。
もしも共成に絵の才能があったならばあの一瞬を後世に残すことも出来たのだろうが。
いや、残すのも惜しいと思ってしまうほどにあの瞬間、
虚空を抱きかかえるように広げられた両手が美しかった。
溺れたかと思って近づいてみて、再び明るくなった月明かりの下見えた顔に二重に驚かされた。
これがおのこかと思うほどの端整な顔立ち。
森家の人間は全てにおいて秀で、特にその美貌は天下をも揺らすと噂には聞いていたが。
共成もまさかこれほどのものかと息を飲んだ。
切れ長に煌く瞳はきらきらと輝き、その縁を飾るように長い睫が覆っている。
少し紅潮した頬にぷっくりとした唇は春をも思わせる桜色で、
肩や頬にかかった漆黒の艶やかな髪とあいまって美しさを過剰していた。
少しだけ開かれた唇の隙間から見える白い歯の形も美しく、
肌などは白磁のように透き通っている。
人間というよりも人形や置物と言われたほうが納得出来る美貌だった。
しかしその壊れそうなほど繊細な容姿とは裏腹に、彼の性格は猛々しいことこの上なかった。
助け起こそうとした共成の手を力いっぱい払ったほどだ。
その強気な光を宿す双眸といい、
戦国の世に今まさに咲き誇ろうとする花のごとき生命力に溢れている。
それほどでなければこの先を生きることなど出来ないだろうから、彼にとっては良い事なのだろう。
けれど共成は少し残念に思ってしまう。
この少年が雅を知れば、どれほど天下人に愛されることだろうか。
いや、天下人ならず全ての人間を魅了することも可能だろう。
「・・・・・僕のような人間が義兄では、物足りないかな?」
ふと、足を止めて共成が振り返った。
先ほどから共成ばかりが会話をしていて勝蔵は何も答えてくれないからだ。
岸辺近くまで来て、共成はついつい苦笑と共にそう疑問を投げてしまった。
すると勝蔵は慌てて首を左右へと振り、僅かに頬を赤らませてその顔(かんばせ)を下へと伏せる。
「とんでもないです!・・・・・ただ、あの・・・共成殿は御歳いくつになられるのかと・・・」
疑問を投げかけた共成に勝蔵も疑問で返してきた。
その返答はいささか突拍子もなく共成は何度か瞬きを落としてしまう。
そして勝蔵を引っ張っていた手を離して、その手でそっと彼の頬にかかる髪を払ってやった。
「僕は十九になるよ。確か勝蔵殿は十三になられたのだったね」
どこまでも柔らかな共成の声に包まれて、先ほどの勢いをすっかり無くした勝蔵がはっと息を飲む。
そして戸惑ったように上目遣いで共成の顔を見上げてきた。
まだ育ち盛りの勝蔵は華奢で背も小さく、
どこかの舞子だと言われたほうが納得出来るような体つきだ。
既に武芸に秀でて一城を持たんとする共成に比べるとその繊細さは引きだった。
その一つがこの身長差である。
共成は四尺六寸三分(176センチ)あり、勝蔵はまだ三尺九寸五分(150センチ)ほどしかなかった。
六寸八分(26センチ)の差は石段一つ半も違うものだ。
見上げることとなる勝蔵にとっては屈辱的なものだったが、
今だけは負の感情とは異なるものを抱いていた。
「・・・・・どうかしたのかい?」
どこか熱の篭った視線で見つめられ、共成はどきりと心臓を高鳴らせた。
眼差しの主である勝蔵は微かに瞳を潤ませ共成の顔を見続けている。
「・・・兄と・・・可隆兄上と同じ年齢なのだと・・・思っ、て・・・・・・・」
そう告げる勝蔵の瞳がだんだんと揺らいでいくのを共成は見逃さなかった。
慌てて共成は両腕を広げ、自分の胸元へと彼の頭を抱き寄せる。
小さな頭はすっぽりと共成の腕の中に収まってしまった。
「・・・兄上は、先の合戦でお命を落とされたそうで・・・・・」
そっと、共成の指先が勝蔵の髪を梳いた。
さらさらと指をなぞるように零れてゆく艶やかな髪に視線を落としたまま、共成はゆるりと口を開く。
「もしも・・・・・勝蔵殿がお嫌でなければ、ひと時ばかりこの共成を兄と思っては下されぬか?」
「・・・・・・・え?」
この申し出に勝蔵はとうとう堪えていた涙が目頭から零れるのを感じた。
驚いた拍子に耐えられなくなってしまったのだ。
ぱたり、と豪奢な着物に濡れた染みが出来る。
「まだ御歳十三ではないか。その肩に全てを背負うにはなんと時期尚早なことよ・・・。
僕が代われるものならば代わってあげたいものだが・・・・・そうもいかぬ事情が世には多すぎる。
ならばせめて・・・兄の面影を追って、今はその悲しみを拭う慰めとなりたい・・・」
共成は勝蔵が泣きそうになっているのを堪えていると察して、彼の身体を抱き寄せた。
泣く場所がないのならば作ってあげたい。
そうでなければこの少年の背負うべきものは大きすぎると。
再び共成は勝蔵を抱き締め直し、その両腕でぎゅうと力強く彼の肩を引き寄せた。
その温かな温もりと心根に知らず勝蔵の瞳から大粒の涙が溢れ始める。
緊張して、緊張して、ずっと自分を張り詰めていなければ
保ち続けることが出来なかった城主としての仮面。
それは父が逝ったとて嘆くことすら許さず、
一国の主として奮い立たねばならなかった勝蔵の重荷だった。
それがずっと好きで慕っていた兄と同じ年齢の人物に出会ったことで、箍が外れてしまった。
せき止めていた分、多くの感情が怒涛のように身の内を押し寄せてくる。
「ッ・・・・・・・・、とも、なり・・・殿・・・ッ」
腕の中で、小さな声が有難う、と告げた。
その心地よい声音に耳を傾けながら、共成は何度も何度も勝蔵の背を撫でてやる。
それは胸元の嗚咽が聞こえなくなってもしばらく続けられた。


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