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森蘭丸異聞 - RANMARU MORI - 第二十七章
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無事に本願寺まで誓約文を届けることができた妙向尼と堀の足労により、織田家と 本願寺との和議が成立した。 長きに渡って戦いをつづけてきた両者の和解によって、信長は天下統一に また一歩近づいたのだ。 さらに年は明け、天正十年二月。 信長の軍勢は武田一族の城を破り、駿河一帯を制圧することとなった。 この戦の功労者である徳川家康は信長からの褒美と宴を受けるために安土へと向かった。 徳川一行が安土についたのは四月も半ば、新緑美しき頃であった。 蘭丸は若草色の小袖に藤袴で彼らを出迎えた。 「おひさしゅうございまする、徳川殿!」 蘭丸はいつもの凛とした美しい笑顔で徳川の前へと歩み寄る。 「これはこれは・・・足労でしたな。まさか奏者殿自らが出迎えをするとは・・・」 「私が上様にお願いしたのでございまする。久方ぶりに徳川殿とお会いしとうございまする、と」 「そうであったか。なに、私も蘭丸殿の顔を見たいと思うておった故、嬉しいことこの上ない!」 二人は和やかな雰囲気のまま足を進め、信長の待つ茶室へと姿を移した。 「失礼いたしまする。森蘭丸、徳川殿をお連れいたしました」 蘭丸は部屋内で佇む信長に一礼すると、自分は引いて徳川に座を譲る。 代わりに出てきた徳川は室内にもう一人、信長ではない人物を見つけ驚いた。 「殿、徳川家康お召しにより参上仕りました。・・・・・して、明智殿は・・・?」 もう一人の人物、四国攻めの総大将として戦いに赴いているはずの明智に声をかける。 すると明智はにこりともせずに恭しく頭を下げた。 「此度の接待を申し付けられました。徳川殿には愉しんでいただき、また上様にも ご満足いただける宴にしたいと思っておりまする」 徳川は蘭丸の顔を振り返り、蘭丸は苦笑を浮かべてその視線を受ける。 明智は武田攻めでたいした武勲をたてられなかったために信長の不興を買い、 四国攻めの総大将の任を解かれて今回の接待を担わされたのだ。 いくら人のよい明智でもこの命は効いたらしい。 唇からは血の気が失せ、笑みのひとかけらも見受けることができない。 「恐れながら上様、徳川殿も明智殿もいらしたばかりでお疲れのご様子。今宵の宴まで ご休憩していただかれたほうがよろしいのでは」 見かねた蘭丸が声をかけると、信長も扇子をひらりと振ってそれに同意した。 「うむ。そうだな。ねぎらいは宴でするとしよう」 「では殿、先に頂いた領地のお礼を蘭丸殿に渡しておきまする故、どうぞ吟味してくだされませ」 徳川はそう告げて一礼し、蘭丸よりも早くその場を後にする。 主賓である自分がいつまでも居座っては明智が席を立つわけにはいかない。 徳川なりの気遣いであった。 「ではわしも昼寝でもするとするかの」 明智の茶を受けていた信長は大あくびをすると席を立ち、自室へと足音大きく戻っていく。 その背を見送ってから蘭丸は室奥へと進み明智の前で頭を下げた。 「明智殿、お久しゅうございまする」 「・・・蘭丸殿」 明智は覇気のない視線で艶やかに佇む蘭丸を見やった。 その瞳はどこかうつろげで、明智の中の迷いを色濃くあらわしている。 「・・・・・私は、上様を信じていいのだろうか」 明智の言葉と表情に蘭丸もまた苦悶の色を顔に浮かべた。 「明智殿・・・・・今はご辛抱くだされませ。毛利殿も上様の怒りを解くまでに何年も かかっておられまする。信じていれば道は開けまする・・・私も傍にてついておりまする故、 どうか、耐えてくだされませ」 「・・・蘭丸殿がついていてくれるのであらば」 明智はちらりと蘭丸の顔を伺った。 信長が溺愛する蘭丸の後押しがあれば大事にならずに済むであろうと、心配がひとつ 減ることになる。 もともと明智は心配性のきらいがあるため、蘭丸も出来るだけ不安にならないように 言葉を選んでいた。 「はい!ついておりまする!宴の席では私も舞いにて盛り上げまする故、どうかご安心を」 「おお・・・・有り難い!宴が成功すれば上様もご気分を盛り返してくださるやもしれぬ!」 明智は少しほっとした様子でようやく笑みを零した。 蘭丸もまた、明智の笑顔が見れて安堵する。 「明智殿の常に他者を思いやるお気持ち、蘭丸は尊敬しておりまする。これからも 明智殿は明智殿らしくいてくだされまし」 この言葉は蘭丸の本心であった。 明智は深く頷きを返し、二人はそれぞれ饗宴の準備へと取り掛かった。 宴は夜半も過ぎた頃から始まった。 朝まで飲み明かしたい、という信長の希望によって開始が遅く設定されたのだ。 上座に信長、そして傍に蘭丸と小姓頭である高橋虎松が座っている。 そこから順に今回の功労者であった徳川家康、穴山梅雪が座り反対側に明智が場を取った。 宴の参加者には佐々成政や柴田勝家、大谷義孝に堀秀政の顔も見られる。 信長は気分よく蘭丸から注がれる酒を何度も口へと流し込んだ。 「うむ、よい気分じゃ。これも家康のおかげかの?」 「いえいえ、殿のお力添えあってのことでございまする」 和やかな談笑が続き、明智もほっと一安心した様子で彼らに酒を注いでいる。 蘭丸はさらに宴を盛り上げようと席を立って坊丸と力丸を呼んだ。 そして坊丸に窓の障子を開けさせる。 「上様、そして皆様、今宵は満月にございまする。ゆるりご鑑賞くだされませ」 そう告げた蘭丸のほうを皆が見やると、その背には丸い美しき月が浮かんでいた。 蘭丸は今宵が満月と知ったうえで、月がほろ酔いの時刻にちょうど窓から見えるよう この部屋を接待の場にしたのだ。 「なんと見事な月よ!気にいったぞ、お蘭。後で褒美を取らせる故」 「ありがとうございまする。では僭越ながら森蘭丸、一踊舞わせていただきまする」 蘭丸はそう告げて扇を開くと、かの足利将軍家が愛でたといわれる少年舞踊を舞い始めた。 力丸がその伴奏を勤め美しき竜笛の音を響かせ、坊丸は琵琶を片手に次の舞に備える。 月にも劣らぬ美しい森兄弟の舞と演奏に一同はみな夢心地で酒を愉しんだ。 「・・・・おや?」 宴もたけなわに差しかかった頃、大谷はふと甘い香りが漂ってくるのを感じた。 「どうなされた、大谷殿」 「いや、なにやら甘い香りがいたしまする」 言われてクン、と鼻を鳴らしてみると柴田の席にもその甘い香りは漂ってくる。 一同が香りの主を探してざわめく中、信長は上機嫌のまま蘭丸の顔をちらりと見た。 すると蘭丸もまた信長の顔を見やって微笑んでいる。 信長だけは蘭丸の企みであると気付いたらしい。 「わしの物言う花が甘い香りを芳しているようだぞ」 くっくと喉奥で笑いを漏らしながら信長は扇子の先で蘭丸を指した。 花とは信長の好きな蘭のことであり、物言うとは語る意であるから語る花、つまり蘭丸のことだ。 皆の注目を集めてしまった蘭丸は一礼すると手を叩き、控えていた小姓たちを部屋へ呼んだ。 「おお!」 「これは見事だ・・・!」 現れた小姓たちは皆、大甕に桜の太い幹を活けたものを抱えて武将たちの背に置いていく。 その見事なまでの美しさと心地よい香りに彼らは口々に歓声を上げたのだ。 どうやら甘い香りというのはこの桜を準備しているときに漏れて流れてきたもので、普通の 桜よりも色が濃く香りが鮮やかな品種のようだ。 武将一人に一株用意された桜はひらりと花弁を落として酒に色を添える。 「月見酒の次は花見酒。季節折々の酒色を愉しんでいただけますよう、用意致しました」 蘭丸がそう頭を下げると思わず徳川が唸るように感心してしまった。 「蘭丸殿はほんに出来た者だのう。殿はよい宝をお持ちのようじゃ」 「とんでもござりませぬ。すべて明智殿が私に指示してくだされたこと」 蘭丸が一礼して明智を見た。 明智はなんのことやらぽかんと口を開けていたが、それが蘭丸の気遣いであることに 気がついてはっとする。 蘭丸は自分がやったことを明智の功績としてくれているのだ。 この心使いに明智は涙の出る思いだった。 「さすがは明智殿、智将と呼ぶにふさわしいですな」 堀は蘭丸の気遣いを見破ったのか、助け舟を出すようにそう告げる。 「いやいや・・・私はさほどでも・・・」 「光秀、謙遜せずともよい。今宵の宴は心に残るものになろうぞ」 信長にそういわれ、少なからず明智は嬉しそうに笑みを浮かべた。 月明かりの美しさに花びら舞う豊かな香り、そして極上の酒に皆が笑う。 愉しい宴は滞りなく明け方近くまで続いた。 「徳川殿、此度の戦ではどのような戦略で勝利を収められたのですか?」 蘭丸が信長の隣に侍りながら、顔を徳川に向けて話しかけた。 徳川は酒のせいでかなり赤くなった頬を掌でさすりながら蘭丸を見やる。 「おお、此度は佐久間信盛殿を寝返るかのように見せかけて武田を追い詰めるという殿の 智謀がありましてな、我らは後方の城を攻め取り武田の愚息を退陣させぬに功労したのだ」 「噂では山岳戦を避けたために鉄砲隊で追撃できたと」 「さよう、鉄砲を使うためには視界を広くせねばなりませぬ。武田の軍は騎馬に秀でて おるために、その力を過信して平地で戦いを挑んできおった」 徳川は自ら参戦した戦の功績を蘭丸に聞かせてくれた。 蘭丸もまたそれをとても興味深げに聞き入っている。 信長がその知略をもって武田を攻め落としたことが、さらに蘭丸を嬉しくさせていた。 羽柴秀吉をもってしても神よとあがめる織田信長の確かな一面を見た気がするのだ。 「蘭丸殿も早く戦に出たいと思うておるのではござりませぬか?」 談笑ついでに明智が笑いかける。 どうやら酒も入っているせいか不安もなくなった様子であった。 言われた蘭丸は顔を輝かせて何度も頷きを見せる。 「ええ!それはもう、早く堀殿のように上様のお役に立ちとうございまする!」 言われた堀はどうやら照れくさかったらしく酒をいっきに飲み干した。 「私はまだ初陣も経験しておりませぬ。戦場で力が発揮できるかわかりませぬが、 力の限りで上様のお力になりたいと思っておりまする!」 「初陣はいつになるであろうな。毛利との戦になるだろうか」 蘭丸の言葉に明智もまた頷きを繰り返しながら答える。 そこへ突然、信長が手にしていた盃を光秀に向かって投げつけた。 「うっ!」 がつりと音がひびいて明智が頭を押さえ込んだ。 皆は一様に水を打ったように静かになってしまう。 「上様!?」 蘭丸は慌てて手から酒を放り出すと明智の肩へそっと手を添えた。 血などは出ていないが、ぶつかった頬が赤くなっている。 「余計なことを申してくれるな、光秀!」 信長は怒り露に明智を睨みつけて立ち上がった。 |
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