森蘭丸異聞
- RANMARU MORI -

第二十五章   


天高く舞う花に添えて





年が明けた二月、蘭丸は信長から偏諱を賜り森蘭丸長定と名乗るようになった。
信長は信の字をやるといってきたのだが、まだ若輩の自分が信の字をいただくわけには
いきませぬ、と蘭丸はこれを丁重に辞退した。



「お蘭よ、お蘭はおるか?」
いつものように足音を響かせて階下に下りてきたのは信長だった。
後には坊丸と力丸が慌てた様子でついてきている。
「はっ、こちらにございまする。上様」
近習部屋の一角を与えられている蘭丸が呼び声に姿を出した。
「おお、お蘭。いいものをやろう。それを着てすぐにわしの部屋まで来るのだ」
それだけ言うと信長はすぐに自室へと舞い戻ってしまう。
後に残された蘭丸はきょとんと瞬きを繰り返した。
「兄上、これを上様がくだされました」
そう坊丸が差し出した箱を受け取ると蘭丸はそっと弟に耳打ちする。
「上様はまた何か企んでおられるのか?」
「わかりませぬ。ただ、力や私についてこいと命ぜられたのでこれを兄上に渡すよう
受け取っただけにございまする」
蘭丸は箱を見つめたが、見つめただけでは中身がわからず首を傾げながらも二人に
礼を告げ部屋へと戻る。
漆塗りの豪奢な箱を畳の上に置くと蘭丸はそっと両手で蓋を取って開いた。
すると中には金糸銀糸を織り交ぜた派手な小袖と朱袴が入っている。
「これは・・・・」
これを着て誰かの接待をしろという意味であろうか。
蘭丸は信長の謁見相手を思い浮かべたが、今日、明日は誰にも会う予定など入っていない。
では何か他の用事があってこれを渡したのかと蘭丸はその小袖を手にとってみた。
すると裾のほうに木瓜紋が入っていることに気付く。
木瓜紋、つまり信長の家紋だ。
そしてその下に一枚の紙が入っており、「美濃岩村五万石を与える」と記述されてあった。
「上様・・・・!」
蘭丸は息を呑んでその紙を手にとってみる。
美濃といえば兄、長可が美濃金山を与えられており、そのすぐ近くの領地となる。
十七歳になった蘭丸への信長からの祝いであった。
「まさか、断るなんてことはしないであろう?」
困ったようにその紙を握り締めた蘭丸のところへ一人の男がやってきて声をかけた。
見上げると堀秀政の顔が近くにある。
「ほ、堀殿!・・・いったいいつ・・・」
堀は秀吉とともに四国攻めに参戦しているはずである。
蘭丸はいないはずの顔に嬉しいやら驚いたやらで唖然としていた。
「今しがただ。上様のお使いでな。・・・・・それよりも、岩村受けとらぬのか?」
「これは・・・蘭丸には出すぎた領地にございまする」
「殿の好意だ。城を持たぬ蘭丸が気兼ねして諸大名に遅れをとってはならぬと、殿が
わざわざお気を使われたのだ。・・・・・まぁ、入れ知恵はたしかに私でもあるが」
堀は悪びれた様子もなくあっけらと笑ってみせた。
「またそのように・・・・・蘭丸は城など持ちませぬ。ずっと上様の下で働きまする」
「ふむ、確かにそれは殿が一番喜ばれそうなことだが・・・なにも岩村城に行けと言って
いるのではないぞ?蘭丸殿はここ安土にいて、しかし城主として城名を与えておく。
名ばかりといっては蘭丸殿に悪いが、城自体は他の者に任せるつもりらしい。
蘭丸殿は変わらず殿に仕えればいいのだ」
堀の言葉にさらに蘭丸の疑問がくっきりとしてくる。
では信長はなぜわざわざ城など持たせようとするのであろうか。
蘭丸は信長の寵臣だ。
城など持っていなくても諸大名に遅れをとるいわれはない。
そのことだけで蘭丸に領地を与えようというのはどうも腑に落ちないのだ。
「・・・まだ納得できぬ顔をしておるな」
堀がそんな蘭丸の表情を見て小さく噴出して笑った。
「わざわざ代理の者をたててまで私に城を持たせるという上様のお気持ちがわかりませぬ」
「・・・・実はな、蘭丸殿。今日、私がここに来たのは殿の命で護衛を頼まれたからなのだ。
護衛した人物は妙向尼殿・・・つまり、蘭丸殿の母御前。蘭丸殿が森家の男児として恥ずかしく
ないよう、母の前で立派な姿を披露できるようにと、殿はそなたのことを気遣ったのだ」
「・・・・なんと!」
蘭丸は高揚する気持ちを抑えられずにいた。
信長は蘭丸の母が安土にやってくるのにあわせ、城をくれたというのだ。
かつては近江一帯を治めていた森家が三左の死とともに領地を減石され、蘭丸もまた
人質として安土にやってきた。
それが今では奏者として働き、信長一の家臣として若干十七で城まで与えられたとなれば、
きっと蘭丸の母の心労もいくばかりかは晴れるであろう。
今回の美濃岩村下賜は、蘭丸とその家族のことを気遣っての采配だったのだ。
信長がそこまで自分たちのことを考えていてくれたと思うと、蘭丸は胸のうちが熱くなってくる。
「・・・・・受けるであろう?殿のお気持ちを」
「はい、しかと。上様には感謝をしても尽きぬ想いでございまする」
早く母御前を安心させたいと、家族を守りたいとがんばって来た蘭丸にとって、これは嬉報だった。
蘭丸は慌てた様子で一緒にはいっていた衣装を身に纏い、堀と共に信長の自室へと足を運んだ。

「上様・・・!森蘭丸にございまする!」
「堀秀政にございまする」
二人そろって顔を出すと、信長はいつもよりも上機嫌でそれを迎え入れた。
「うむ、似合っておるぞ。お蘭」
金糸銀糸を織り交ぜた小袖と朱色袴で跪く蘭丸に信長が声をかける。
蘭丸は嬉しさを隠しきれぬ様子で信長の前へと一歩出た。
「上様、大変な心配り、蘭丸至極恐悦にございまする」
そして両手を畳につくと感謝の意を込めて深く深く頭を下げる。
信長はひとつ頷くと蘭丸に顔を上げさせた。
「長い挨拶はよいぞ。実は逢わせたい人物がおる」
そう告げて隣の部屋に控えていた坊丸と力丸に声をかける。
呼ばれた二人は心なしか浮かれた表情で隣室の客人を呼びに行った。
そう、蘭丸の母である妙向尼だ。
妙向尼は信長を悩ませた本願寺の一向一揆との仲裁役として安土に赴いたのだが、
せっかくだから親子の対面をと信長の計らいでしばらく城にとどまる予定になっている。
「・・・失礼いたします」
障子を開けて廊下から顔を出した妙向尼がゆるゆると頭を下げた。
「うむ、大事ない。・・・お蘭よ、母に報告すべきことがあるのであろう?」
促されて蘭丸は信長のほうを向いていた体を妙向尼へと向けなおす。
それを受けて妙向尼もまた蘭丸のほうを見やった。
背後には坊丸と力丸の姿もある。
「母上、此度上様のご好意により不肖蘭丸、美濃岩村五万石をお受けすることになりました」
「・・・!おお、城主になるというのですね・・・!」
妙向尼は蘭丸の言葉に目を見開いて言葉を返した。
長男が早くに他界し、ついで夫にまで先立たれ尼になった蘭丸の母は、ことのほか
兄弟たちの行く末を心配している。
次男の長可が戦績を上げ城主になったときも大変な喜びようだったという。
蘭丸のこの出世にも胸を抱えたままほろりと涙を落とした。
「ありがとうございまする、織田様・・・」
妙向尼は信長に深く頭を下げた。
坊丸と力丸も慌ててそれに続いて一礼する。
「いや、今後ともわしのために働いてくれるお蘭を思えば安いこと。お坊やお力もよくやっておるぞ」
「ありがたきお言葉にございまする」
妙向尼はもう一度深くお辞儀をすると、蘭丸の傍までかけよりそっとその身体を抱きしめた。
久々に触れる母の温かな情愛に蘭丸もまたじわりと目を潤ませて抱きしめ返す。
森家が復興した、その証でもあった。
「明日は本願寺との和平を誓う誓書を書こう。それまでゆるりと過ごすがよい」
信長はそういうと森親子を水入らずにさせた。



蘭丸にとって、この日はとてもいい日になった。
母を安心させることができ、坊丸、力丸とも久しぶりに存分に語り合うことができた。
蘭丸は満ち足りた気分で寝静まった母や弟を背に廊下へと足を出す。
「・・・なんだ、眠れぬのか?」
部屋から出てつきあたりのところで後ろから声をかけられ、蘭丸は少しばかり
驚きながら振り返った。
そして目に入った人物にさらに驚きの表情を露にしてしまう。
「う、上様・・・いかがなされました?」
夜中に城内をうろつかれては警護の者も面目ないだろう。
蘭丸はこっそりと会話するために信長のかなり近くまで身体を寄せた。
「いや、あまりに月が見事でな。誘われるままに庭にでも出てみようかと・・・」
「いけませぬ!上様ともあろうお方が忍んでお庭になどと・・・」
信長の言葉を蘭丸の言葉が制した。
見れば蘭丸の顔は真剣に怒っている。
信長の身を案じての想いなのであろうが、信長にとっては刺客よりも蘭丸の
小言のほうが怖いものだ。
「・・・・そうだな。今日はお蘭の言うとおりにしよう」
笑ってそう告げると信長は手を伸ばして蘭丸の項へ触れ、その頭を自分の肩口へと引き寄せた。
「そなたは優しい。わしのことも真実心配し、怒うてくれよる。・・・・わしは、どうすればよいか」
信長の口調はいつもの強引なものでなく、どこか迷いを含んだものだった。
その声音に蘭丸の身体がぴくりと揺れ、胸元に頬を寄り添わせながら視線を信長の
顔のほうへと向ける。
「上様・・・?なにかご心配事でもございまするか?森蘭丸では、その憂いを晴らせませぬか?」
月夜の光が信長の腕に収まる蘭丸の睫を金に縁取る。
朧闇に包まれた中で見る蘭丸はどこかこの世のものではないほどの美しさを漂わせ、
信長は抱くその腕に力を込めた。


表へ 前へ 次へ