森蘭丸異聞
- RANMARU MORI -

第二十三章   


天高く舞う花に添えて





蘭丸は迷わず濃姫に向かって声を張り上げる。
「お逃げくだされませ!」
すんでのところで切っ先をかわすと蘭丸は腰に差した長刀の柄を掴んだ。
次の刺客が再び蘭丸の心臓めがけて走りこんできたところを、真一文字に刀を
横引いて牽制する。
濃姫は自分が足手まといであることを熟知しているせいか、すぐに賊が侵入した
襖とは反対側の襖を開いてさらに先の廊下へと走り出した。
目の端で濃姫の姿が去っていくのを確認しながら蘭丸は両手で刀を構え次の攻撃に備える。
「織田家奏者番、森蘭丸殿とお見受け致す」
首者と思える筋肉質な男が蘭丸と向き合う形で話しかけてきた。
他の二人はその後から蘭丸の首を狙っている。
「いかにも、森蘭丸にございまする」
「武田家臣、村野紋十郎。主君の特命により森殿お命を頂きに参りました」
「私ごときの首に武田が動くのか?」
きらり、と村野の切っ先が光りその動きを早めながら蘭丸の腹部を狙って振り下ろされた。
「くっ・・・!」
その重い刀を刀で受け止め、重心を払いのけながら蘭丸は後ずさる。
「謙遜を。いまや織田は森が支えているともっぱらの噂」
再び男の刀が振り下ろされた。
連続しての攻撃に蘭丸の太刀筋は乱されたが、体が軽いせいかその切っ先に己を
触れさせることなく太刀を村野へと振り替えす。
「・・・ぬう!」
蘭丸のすばやい太刀返しに村野の足が一歩下がった。
そして両者の間に畳一条分の間が空く。
「噂は噂、真実には事足りぬ。しかし私の首ならば好きに持っていくがよい。
・・・そなたらに出来るのならば、な」
挑発するように蘭丸の顔が笑みへと変わる。
すると村野ではなくその右隣の男のほうが顔色を変えて襲い掛かってきた。
「ぬかせ、小童が!」
「はぁあっ!」
蘭丸はそれを待っていたかのように刀の先で相手の刀の中心を突き、横へと太刀筋を
流しながらかがみ腰で男の懐へ入り込んで下から上へと脇、首、目掛けて刀を振り切った。
ざくり、という血脈を破る音が響くと男は動きを止め、蘭丸は流れる水のごとく優雅な動きで
横へと飛びずさる。瞬間、男の喉仏から熱い血流が噴出して畳を朱色に染めた。
蘭丸の刀には血はついていないものの、確かな人間の脂がこびりついている。
それをかちゃりと音をたてて切り返しながら蘭丸は残りの二人を見やった。
「ほう、さすがは鬼武蔵の弟か」
村野は依然と厳しい顔つきで蘭丸のことを見つめている。
どうやらこの男には挑発などという小手先の業は通用しないようだ。
「なれば私にも鬼武蔵などという無粋な名をおつけになられるか?」
「いいや、私に必要なのは森蘭丸殿の首なれば他の名など必要なし」
言って、男は再び上段構えで蘭丸に切っ先を振りかざしてきた。
同時に後の男も脇狙いで刀を大振りに薙いでくる。
「二人がかりならばさすがの森殿でも避けれはしまい!」
奥の男の声に蘭丸は悔しそうに眉根を寄せた。
それが図星だったからだ。
もしもこれが信長や長可、堀秀政などであれば問題なく二人を切り捨てることが
できるであろう。
けれど蘭丸には稽古の経験はあれど実戦の経験は限りなく少ない。
「・・・・ッ!!」
蘭丸はまず村野の太刀を避けようとかがみこみながら、奥の男とは
反対方向の左へ体を流した。
しかし完全には避けきれずに太刀は蘭丸の髪を結う紐に触れそれを床へと落とす。
ばらりとう風圧に揺らされた髪の合間にもう一人の男の姿がちらつくと、右から刺そうと
してきた刀は真正面から突く形へと変えられて突き出されてくる。
「うあああっ!」
蘭丸は気合を入れながら右手の剣で相手の太刀を受け、そのままその腕を軸に体を
回転させて男の背後へと回り込んだ。
「いかん!避けろ!」
そう村野が叫んだ瞬間、蘭丸の刀は美しい弧を描いて男の太刀の上へ移動すると
眉間の間を横に切り裂くように叩き込んだ。
ガツっと骨と刀のぶつかる音がして蘭丸の腕に凄まじい衝撃が伝わった。
「・・・・くっ・・・」
ぶるぶると指先にまで振動が伝わる。
それに耐え抜いて蘭丸は刀を振り切った。
男の割れた額からはおびただしい量の血が噴出し、男は呻く間もなく床へと事切れた。
「・・・ふんっ!!!」
刀を振り切り、華奢な蘭丸の体がやや体勢を崩しているところへ村野は襲い掛かってくる。
真正面から振り下ろされた刀に蘭丸はごくりと息を飲んだ。
「うっ・・・・!」
蘭丸の目の前に刀の先端がきらりと光って押し出される。
瞬間、ぐずっと肉を貫く刀の鳴る音が響くが耳に木霊した。
「・・・・・・ッ、あっ・・・?」
目を見開いていた蘭丸の眼前で止まった刀は、村野の首を貫いていた。
がくりっと落とされた村野の刀を後から現れた男が払いのける。
見ると、村野の喉仏をしとめた槍を持っていたのは信長だった。
「・・・あっ、・・・!・・・上様!?」
驚いて蘭丸の声が上擦る。
信長は村野を貫いたままの槍を横へなぎ払い捨て、寝巻き姿のままで蘭丸の
体を強く抱き寄せた。
「お蘭・・・・!無事か、心配したぞ!」
ぎゅっと抱きしめられるその腕の力強さに蘭丸の長い睫が打ち震える。
安堵したというよりも信長の顔が見れたことに喜びを感じたのだ。
思えば蘭丸が城を立ってから数ヶ月、この主人の顔を見ることができなかった。
美しい黒髪がばらけ乱れた姿の蘭丸を信長もまたただただ、抱きしめ続けている。
「蘭丸殿、ご無事で・・・!?ああ、お怪我などされていたらお濃は・・・!」
言いながら濃姫が隣の部屋から惨状を見て足を止めた。
「お方様、お召し物が汚れてしまいまする故、どうかそれ以上は・・・」
蘭丸がそういうと濃姫もわかったように頷いて両手を鳴らし人を呼びつけた。
賊を身包みはがして調べ、死体を捨てさせるためだ。
たぶん、この濃姫の部屋もすべて清められ新しい調度品に変えられるのだろう。
「・・・上様も。私は怪我ひとつしておりませぬ。ご安心くだされませ」
そう告げて蘭丸はそっと信長の背に腕を回した。
本当は自分がすがりついてしまいたかったのかもしれない。
それを押し隠すように蘭丸はすぐに信長の背から手を引いた。
「・・・・・お蘭まで喪うたらどうしようかと、わしは肝を冷やしたぞ。この信長をこんなにも
動揺させるとは・・・本来ならば手打ちものの重罪じゃ!」
言葉とは裏腹に、信長は怒っている様子が微塵もみられない口調でそう呟いた。
それどころか心底心配してくれたであろう暖かな気遣いさえ感じられる。
蘭丸は本当にすまなそうに首を項垂れさせながら両目を伏せた。
「意地を張ってお蘭の顔も見ずに死に別れてしまっていたら・・・・わしは悔やんでも
悔やみきれぬ想いを抱くことになっていようぞ。わしが悪かった・・・反省しておる」
「上様・・・では、私の言葉は上様に届きましたか?」
「おお、届いておるとも。ただ・・・お蘭に逢わせる顔がなかったのじゃ。
これからは短気も控える故・・・」
信長の声を聞きながら、蘭丸は濃姫の言ったとおりだと心で呟きながら隣部屋を見やった。
視線の先には濃姫の微笑む姿がある。
その笑みがなんだかとても照れくさくて、蘭丸は思わず顔を伏せた。
「上様、お部屋に湯をお持ちいたしました」
市若の声が響くと、蘭丸の手にしていた刀が白い手につい、と引き取られる。
懐紙でこびりついた脂と血をぬぐい、おそらく城前に召されている鍛冶屋に
砥いでもらうのだろう。
「・・・ありがとう」
蘭丸が市若にそっと礼を告げると、市若も笑みを返してくれた。
そして蘭丸はというと、信長にやや強引に手を引っ張られて信長の自室へと向かっている。
うまく避けたとはいえ返り血は腕や膝を赤く染めていた。
それを見かねて信長が湯を用意したのだ。
けれど風呂場ではなく、蘭丸の部屋でもなく、信長の自室というのが解せない。
「上様?お手が汚れます故・・・蘭丸は部屋で禊いたしまする」
蘭丸は信長の部屋前まで来ると、ためらう様子で信長に告げた。
しかし信長の右手は蘭丸の手首を離そうとはしてくれない。
すっかり室内にまで入らされて、蘭丸は困ったまま信長の顔を見上げた。
「わしに詫びをさせろ、お蘭」
言われて、ぎょっと体を竦めてしまう。
「わ、侘びだなどと・・・!此度のことは私めの身勝手故のこと。上様が詫びなどと
口にすることでは・・・・・」
「よい、わしがしたいのじゃ。お蘭が物を受け取らぬのは知っておる。ならばわしが
その体を清めてやろうと思うたのじゃ。・・・嫌か?」
さきほど槍を振るって一撃で武田の手の者をしとめた天下人とは思えぬような表情で、
信長が告げる。
蘭丸はますます困り果ててしまった。
「嫌ではござりませぬが・・・」
「ならばよいな。・・・・・ほんに悪いと思うておるのじゃ。お蘭を遠ざけ、寂しい思いを
させてしまったことを。血相を変えてお濃が知らせにきたときも、お濃にとくと説教されたわ。
殿は真なる忠義者をいかとお考えなのか!・・・とな。槍を持ったままそんな言葉を聴いて、
わしは身が裂ける思いじゃった」
間近で、真剣な顔つきでそう語る信長に、蘭丸はもうほとんど毒気を抜かれてしまった。
いや、わざわざ手自ら助けにきてくれたことでもう怒りなど無くなってしまったのかもしれない。
「・・・・上様、ありがとうございまする。蘭丸は嬉しゅうございまする。
上様の・・・・・その、お心が」
ようやく見詰め合うことができた信長に、蘭丸は可憐な笑みを見せた。
薄紅を引いたような形のよい唇が弧を描くと、信長は少し安心したように肩を落としながら
蘭丸の乱れた髪を手櫛でそっと梳いてくる。
それが心地よくて蘭丸はしばしその雰囲気に酔った。
そして信長もまた久方ぶりに味わうこの優しい雰囲気に口端を緩ませる。
「さぁ、わしが拭うてやろう」
信長は用意された湯の張る桶から手ぬぐいを拾い上げ、ぎゅっと絞った。
温かな湯気があたりに昇ると、ことさら愛しそうに蘭丸の頬にそっと当ててくる。
「脱ぐがよい。着替えは用意させた。明日の朝までには届いているだろう」
信長に微笑まれて、その意味を咀嚼した蘭丸はつい頬に紅がさしてしまった。
服を脱ぎ捨て、裸の肌の血を手ぬぐいで拭われても、また汚れるのでは意味が
ないのではないだろうか。
そう疑問を口にすることはできず、蘭丸は促されるままに腰帯へと手を伸ばした。


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