森蘭丸異聞
- RANMARU MORI -

第二十二章   


天高く舞う花に添えて





結局濡れて使えなくなってしまった畳を信長は全て張り替えさせた。
秀吉はかまわないと言ったのだが、蘭丸がこだわったのだ。
そして張替えがすべて終わると二人は安土の城へ戻っていった。
安土の城はすでに秋景色深く、すぐ傍に冬が迫っていることを告げている。
許しを受けた明智は村重を説得するため尼崎城へ向かい、有岡城の池田和泉は降伏を
申し出てきていた。
蘭丸は信長の奏者として忙しく彼の言葉を伝えに走り、日々は駆け足で過ぎていった。



十二月も初旬、蘭丸は薄灰色の小袖に朱袴を履き、高めに結った髪を光沢のある黒の
組紐で揃えて徳川家康の居城より安土の城へと舞い戻ってきた。
伊賀攻めを行う柴田勝家を見舞ってからの奏者番だったため、思ったよりも
日程を割いてしまった。
蘭丸は久々に見えた安土の城に口元をほころばせながら馬を下りる。
その頬は寒さのせいか、急いで戻ったせいか、薔薇色に染まっていた。
「森蘭丸、戻りました故。上様にご報告を」
蘭丸は心なしか嬉しそうに小脇に小さな包みを持って小姓頭である高橋虎松へ告げる。
しかし虎松は顔色が優れぬまま、ためらったように言葉を濁し天守閣へと上っていった。
「・・・・・・?」
その様子に小首を傾げながら周りを見てみると侍女も小姓も番主もみな一様におどおどしている。
また上様が激昂し誰かを手打ちにでもしたのかと蘭丸は怪訝に眉根を寄せた。
そうこうしているうちに虎松が戻ってくる。
彼は蘭丸に向かって一礼すると高い背をくるりと丸めたまま申し訳なさそうに呟いた。
「上様におかれましては本日、ご気分が優れぬ故報告は明日以降に・・・とのことです」
この答えに蘭丸はますます顔を顰めてしまう。
今まで一度でもそのようなことはなかったからだ。
いつもならば蘭丸が着替えをする間もなく召し上げ、そのまま遅くまで蘭丸を離しはしないだろう。
幾度かは蘭丸の帰りが待ちきれずに信長みずから城門まで降りて待っていたこともあった。
けれど今日に限っては顔も見せずに報告は明日という。
蘭丸は虎松にそっと耳打ちをした。
「何かあったのでございまするか?」
万見のいた頃から小姓仲間であった虎松は蘭丸に同じよう耳打ちを返してくれる。
「それが・・・上様が有岡からの降伏書状を突っぱねたため、池田和泉殿は
鉄砲にて自害なされました」
「・・・!なんと・・・」
「村重殿を説得なされようとした明智殿と荒木殿のご尽力も及ばず、村重殿は応じられ
ませんでした。上様は一計を案じて有岡の妻子を人質に村重殿の降伏を促しましたが
村重殿は沈黙したまま。上様はとうとう堪忍袋の尾が切れまして京都六条河原にて
有岡の人質全てを処刑いたしました」
蘭丸は虎松の言葉に顔面から血の気が引いていくのを感じた。
信長は業を煮やして人質、罪のない女や子供を皆殺しにしたというのだ。
知らぬ間に行われていたこととはいえ、蘭丸は信長を止めることができなかった自身を恥じた。
同時に生まれて初めて信長の行いに対して怒りを覚えた。
見せしめとはいえ力なき者への仕打ちにしてはひどすぎる。
蘭丸は喉元が焼け付くような痛みを堪えた。
そして片手に握っていた包みを虎松に手渡し、自分は天守閣へと足を進める。
「蘭丸殿!」
「心配はいりませぬ。それは徳川殿が手土産にとお渡しくだされた上様の好物、茶饅頭に
ございまする。折を見て上様に進上してくだされませ」
そういい残して蘭丸は信長の元へと向かった。

「上様!上様・・・!」
天守閣に足音と蘭丸の少し張った声が響いてきた。
室内に閉じこもる信長はぎょっとしたように目を丸くし、肩を竦めてしまう。
「おられるのでございましょう?森蘭丸でございまする。お目通りのお許しくだされませ」
「ならぬ!今日は誰にも会わないと決めたのじゃ!お蘭、たとえそなたでも、じゃ!」
信長もかたくなに態度を崩すことなく声を張らせた。
「されど上様、有岡での人質斬首の件、あまりにひどい仕打ちではござりませぬか・・・!」
この言葉に信長の返事はなかった。
蘭丸はますます己が激昂しそうになるのを感じる。
しかしそれをぐっと堪えながらも、右手を障子にそっと触れさせ震える声で囁いた。
「上様が村重殿を・・・有岡を許せぬとおっしゃられるのは道理でございまする。私とて
同じ気持ちでございまする。・・・・・されど、されど民の目もございますれば力なき者に
無体を強いるのはお堪えくだされませ!上様のお気持ちが昂ぶることあらば、御気の
済むまでこの蘭丸めをお打ち下さりまするよう・・・」
そう、言い終えるか終えぬかのところで、障子の先に座っていた信長の気配が消えた。
「・・・・・・・!」
いたたまれなくなったのか、最早聞く耳すら持たないのか。
信長は蘭丸の言葉から逃れるように部屋奥へと行ってしまったのだ。
こんなことは初めてで、蘭丸は困惑したように目を見開く。
「・・・・上様・・・・蘭丸の言葉が届きませぬか・・・?」
握った手は熱く爪の食い込むままに痛みを感じた。
今まで一度たりとも信長が蘭丸の言葉を無視したことなどなかった。
蘭丸はまるで信長がひどく遠いところへ行ってしまったかのような錯覚へと陥ってしまう。
「・・・・・上様・・・・」
信長がいなくなってしまった障子の前で、蘭丸は静かに頭を下げた。
悲しみとも怒りとも取れぬ動揺が体を蝕んでいくのがわかる。
信長にとって有岡とは大事な寵臣を亡くすことになった因縁のある城だ。
無論、蘭丸にとってしても憧れていた人を喪った場所でもある。
それでも蘭丸には信長の行動を諌めなければならない理由があった。
有岡の人質、女子供すべてを公開処刑したという行いは信長の風聞を落としいれ、
民を動揺させるだろう。
たとえ見せしめのためであったとしても、知れず忠臣の恐怖を煽ることにもなる。
蘭丸にとって信長が民に悪く思われるなど耐えられることではなかった。
天下人であるが故に民のことを思い、その処罰さえも決めなければならない。
信長にとってこの単心短気は唯一の弱点であった。
「上様・・・・・蘭丸は、信じておりまする・・・!」
蘭丸は障子の先を見据えてそっと呟いた。
それは自分自身への言葉でもあり、信長が自分で行いを諌めてくれるであろう願いでもあった。



蘭丸にとって不安で眠れぬ夜となった次の朝、蘭丸は早くから安土の南部屋へと召された。
「これは蘭丸殿・・・ようぞいらした」
艶やかな朱色の召し物で蘭丸を出迎えたのは信長の正妻、濃姫だった。
濃姫は物腰優雅な蘭丸をいたく気に入り、時折蘭丸を呼んでは茶を立てたり
花を愛でたりしている。
さすがに今回ばかりは遊んでいられるほどの余裕がないため蘭丸は断りを入れようと
思ったが、濃姫の侍女たちは半ば無理やり蘭丸を南部屋へと連れてきたのだ。
蘭丸はうぐいす色の小袖に朱鷺色袴で濃姫の前へと跪いた。
「はっ、此度のお召しはいかがなご用件でござりましょう」
高く結い上げられた美しい髪を結わう濃紺の組紐が揺れるたび濃姫の目は
優しく眇められてゆく。
「しぃ・・・上様のお耳に届いたらお濃は恥ずかしゅうございまする故、静かになされませ」
濃姫は茶目っ気を出して片目を伏せながら微笑む。
「はぁ」
蘭丸は濃姫が何を望んでいるのか皆目検討をつけることができずに間の抜けた
返事をしてしまった。
その様子に益々濃姫は口元をほころばせる。
「蘭丸殿、まずは寛ぎや?」
言いながら珍しい四国のほうの茶菓子を勧めてくれる。
けれど蘭丸はその茶菓子に手をつけることも出来ずに正座した膝の上に両手を置いて
視線を下げた。
「お方様・・・・・・誠に失礼ながら本日は気分が優れぬ故、お遊びのお相手は勤まりそうに
ございませぬ」
「知っておるぞえ。上様とけんかなさったのであろう?」
ふふふ、と口元を押さえながら濃姫は笑いを堪える。
その様子に蘭丸の表情が少しだけ拗ねたようなものになった。
「けんかではござりませぬ」
「では痴話げんかか?」
濃姫の一言にさすがの蘭丸も肩を落として呆れたような溜息をついてしまう。
彼女はどこか不思議な雰囲気を持っていて、蘭丸でなくとも心が癒されるような独特な
空気を纏っている。
信長もそれが気に入っているからこそ濃姫が無茶をしてもしかりつけることなく
自由にさせているのだろう。
「のう、蘭丸殿・・・此度の件は確かに上様がお悪い。したが上様も反省しているご様子。
小言はなしに許してやってはくれぬか?」
そう濃姫に下手に出られて蘭丸は慌ててしまった。
「そのような・・・!私が・・・未熟な私が勝手に怒っているだけでございます故・・・」
それ以上言葉は出てこず、蘭丸は押し黙ってしまう。
わかっているのだ。
信長を止めることができなかった自分が腹立たしいのも、苛立ちを隠せず信長を攻めた
ことも、八つ当たりのように濃姫との面会を断ろうとしたことも。
すべては蘭丸自身が未熟である故だと。
「上様のためにそのように怒ってくれるのはそなただけじゃ。他の者は手打ちを恐れて
進言すらせずに影で悪口ばかりを言いおる。上様とてそれはわかっておられること」
濃姫はそっと蘭丸の肩を抱き寄せた。
触れる体温は遠い昔、まだ蘭丸が幼かった頃に与えられていた母の温もりのようで、
蘭丸は睫を震わせる。
「今はまだうまく決別ができていらっしゃらないのじゃ。上様のお心には万見殿への執着が
ございまする。わかっていてもご自分の短気を納めることができなかったことを、上様は
恥じておられまする。それ故に蘭丸殿に合わせるお顔がないのでございまする。
・・・・・お濃の言うことが、分かりまするか?」
ひとつひとつ、丁寧に語られる言葉。
それは甘く優しく溶けて蘭丸の胸へと響いていった。
「・・・わかりまする。此度は、私のほうが単心だったかもしれませぬ」
そう告げた蘭丸をそっと解放しながら濃姫は再び上品に笑い声を立てた。
「まぁ・・・!ホホホ、蘭丸殿が単心などと。あれは上様だからこそ取られた態度で
ござりましょう?上様でなければ蘭丸殿が勢い勇むことではござりませぬ。
ならば悪いのは上様ではござりませぬか」
ねぇ、と促されて蘭丸は困ってしまったが、胸のつかりが取れたようで蘭丸は
小さく笑みを浮かべた。
自分と同じように信長もまた迷い、悩んでいるのだ。
その答えが見つからぬうちに急いて責めてもいい結果は導き出されない。
「いいえ、私も悪うございました。お方様のお許しあらば今すぐにでも上様に謝罪したいと
思うておりまする」
蘭丸が両手をつくと濃姫は少し残念そうに扇子を口元へ宛てた。
「許さぬはずはござりませぬが・・・・・いつもは上様が大事に抱えて離さぬ故、今ならば
蘭丸殿を独占できると思うたのに、寂しいこと」
濃姫は世辞などをいうほうではないので、きっとこれは本音だろう。
くすりと口端に笑みを浮かべると蘭丸は一礼しようとした。
その時である。
「きゃああーーー!!」
隣の部屋で待機する濃姫の侍女の一人が叫んだのだ。
はっとしたように濃姫と蘭丸は隣の部屋へと視線を走らせた。
「どうなされました!?」
蘭丸が立ち上がり隣の部屋へ行こうとした瞬間、襖が開かれ黒装束の男が三人、
刀を持って現れた。
見ると侍女の背中は無残にも袈裟切りされ床に突っ伏したまま痙攣を起こしている。
「お命頂戴致す!」
黒装束の一人の刀が蘭丸めがけて振り上げられた。


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