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森蘭丸異聞 - RANMARU MORI - 第十九章
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「・・・・うっ!」 思わず堀が口を覆って呻いた。 裏井戸には新太郎の姿はなく、無残に刺殺された甚七郎の姿があるだけだ。 むせ返るほどの血のにおいと、糞尿のにおい。 堀は眉根を寄せながら甚七郎を抱き起こした。 その顔は白目を向いていて最早生きている色ではない。 流れ出る血のせいか体温が急速に奪われ、身体ごと凍えるように冷たくなっていた。 「・・・甚七郎・・・」 小さく呟いて両手を合わせるとそっと屍骸を仰向けに寝かせ、瞼を伏せてやる。 そして堀は血のついた草履が飛び石を歩いていくそれを追った。 自分があの場を離れなければ甚七郎は無残な姿になることもなかっただろう。 堀は自分を叱咤しながら唇を噛み締めた。 「新太郎!」 屋敷の角を曲がったところで、血だらけになりながら膝を抱えて蹲る新太郎の姿が見えた。 近づくとぶつぶつと独り言を繰り返している。 「・・・・いやだ・・・いやだ、俺はやってない・・・俺じゃない」 堀は事の大きさを理解していない新太郎に激しい怒りを覚えた。 思わずその胸倉を掴んで引きずり上げる。 「お前は・・・っ!他人を陥れるだけでなく、仲間をも殺すような奴だったのか!?」 我慢しきれず、堀は新太郎の頬を殴打した。 がつっと骨にぶつかる音が響くと途端に新太郎が怯え出す。 「ひいい・・・・」 がたがたと肩を震わせ涙目で堀を見上げているその顔に再び堀の拳がぶつかった。 何度殴っても殴り足りることなどない。 しかし堀は三度目の拳を振り上げただけで、ぐっと堪えて新太郎を引きずるように歩き出した。 裁くべきは蘭丸たちであって自分ではない。 そう考えた堀は柿湯の効果があれば意識を取り戻しているだろう蘭丸の部屋へ向かったのだ。 蘭丸の部屋は騒然としていた。 この騒ぎが知れて信長が天守閣から降りてきたのだ。 そして蘭丸が倒れている姿を見て信長は強く激昂した。 「殿・・・!」 「堀ではないか!どういうことだ、一体!」 刀を抜き身にし、自ら犯人を手打ちにしようと構える信長の前へ堀が現れた。 その姿に蘭丸たちに柿湯を飲ませていた虎松もほっと胸をなでおろす。 「・・・堀、殿?上様・・・」 ようやく意識を回復させた蘭丸と市若もまだ事の成り行きを飲み込めないまま呆然としている。 蘭丸の舌はまだ震え、上手く発音できていない状態だった。 「おお、お蘭よ!無理をするでない。そなたを害しようとする輩はわしが 手打ちにしてくれよう!」 信長は再び抜き身の刀をぶんっと大きく振るった。 その動作に新太郎は声なく全身を震わせ収縮する。 堀は新太郎の襟首を掴んだままぐいっと回転させ、信長と蘭丸、市若の前へ押しやった。 「此度の騒ぎ、この新太郎めが主犯でございまする。蘭丸殿のご成長ぶりを妬み、 河豚毒を膳に盛りましてございまする。そしてそれを知った甚七郎めを脇差にて殺害、 許せぬ非道でございまする!」 「な・・・なんと!」 信長はぶるぶると怒りに身を震わせ、新太郎の顔をきつく睨みつけた。 「やってない・・・私ではございませぬ・・・」 全身を甚七郎の血液で赤く染め上げながらも新太郎はかたくなに首を横へ振るう。 さらにそれが信長や堀の怒りを増徴させた。 「卑怯な奴め・・・・甚七郎と同じ目にあわせてくれるわ!」 「ひいいいっ・・・!」 ぶんっと信長の刀が宙に舞い上がった。 「上様ッ・・・!」 そこへ蘭丸がまだ痺れの残る手で必死に止めに入る。 蘭丸が信長の腕にすがり、新太郎との間に入ったせいで振り下ろされた刀身は すんでのところで止められた。 「お蘭!止めるな!」 「お待ち下されませ!新太郎殿は小姓仲間でございまする・・・万見殿の頃から共に 上様にお仕えして参りました、仲間でございまする!どうか、どうかご慈悲を・・・!」 蘭丸は必死に懇願した。 万見の死がひどく応えた蘭丸にとって、目の前で人が死ぬのはどうしても避けたかったのだ。 「ではその仲間を殺したこやつを許すというのか!?」 蘭丸は愕然として信長の顔を見た。 そう、新太郎は甚七郎を殺害しているのだ。 振り返った菊千代もただ首を振って蘭丸の言葉を否定している。 「・・・・では、では・・・せめて自刃を・・・武将らしい最後を迎えさせてくだされませ」 蘭丸は震える指先を畳に落として信長を見上げた。 そして黙っていた市若も力の篭らない体を起こして信長に頭を下げる。 「市若も、同じ気持ちでございまする。皆の目の前でのお手内とあらば佐治家も 浮かばれぬ思いになりましょうぞ。それに何よりも・・・金森甚七郎を、謀反人の手に よって殺されたのではなく、武将を諌めるために忠死した栄誉を与えて あげとうございまする・・・」 市若の言葉に蘭丸は何度も同意の頷きを見せた。 このまま新太郎が手打ちになれば、殺された甚七郎は浮かばれない。 ならばせめて無駄死にの汚名を払ってあげたいと思ったのだ。 だからこそ蘭丸は信長に自刃を願った。 「・・・わかった、ではそうさせよう。ならばお蘭も市若も、ゆっくり休むといい!」 信長は手にした刀をゆっくり鞘に収めると二人に優しい声音で告げる。 この言葉で事態はすべて収拾するかのように見えたそのとき、新太郎が近くに あった湯のみを掴んで蘭丸に向かって勢いよく投げた。 「・・・あっぅ!」 がつんっと鈍い音が響いて蘭丸の身体は仰向けになるように背中から倒れ込んだ。 「蘭丸殿!」 慌てて虎松がその身体をかばうように回り込み、蘭丸の身体を抱きしめ起こす。 蘭丸の額には赤い鬱血が浮かび、その端からは出血も見られた。 「お前さえいなければ!万見殿は死ぬことなかったはずだ!お前さえ、 お前さえいなければ・・・私もこんな目にあわずにすんだ!なにが自刃だ! 慈悲をかけたつもりか!お前などにかけられる情けなどないわ!・・・この、 淫乱の役立たずが!」 鬼にも見える形相で罵る新太郎を、堀の両腕がはがい締めた。 蘭丸の目は衝撃に眼震を起こしている。 「・・・この・・・おおうつけめ!」 信長は手にした刀を鞘ごと新太郎の頬にぶつけた。 先ほどの蘭丸の額を打った音と同じ鈍い音が室内に響く。 「お前など直接手を下すまでもない。・・・・・わしの手が腐るわ。堀、今すぐこやつを 甚七郎が息を引き取った場所へ連れて行って、自害させろ!介錯などいらん。 ただ死ぬのを見届けよ!」 「上様・・・」 額を押さえながら立ち上がろうとする蘭丸を今度は有無を言わさず抱き上げると、 信長は大股で部屋を出ようとする。 「お蘭はわしの部屋で休ませる。その間に、この部屋の畳を全て新しいものに変えよ!」 信長の怒りは最大のもになっていた。 そのまま新太郎の顔を見ようともせず、刀を捨てるように畳に落として蘭丸ごと 天守閣へ戻ってしまった。 新太郎の処罰はすぐに行われた。 介錯を伴わない自刃のせいで新太郎の苦しみは長い間続き、もがきながら 息を引き取ったという。 蘭丸はというと、丸一日を信長の天守閣で過ごしていた。 信長がけして傍から離さなかったのだ。 いつもの忙しさが嘘のように深い静寂が蘭丸を包んでいる。 目を伏せると、まるで今までのことが全て嘘のように思えてきた。 「・・・・・・」 蘭丸は新太郎の最後の言葉を思い出していた。 自分がいたから、万見は死に新太郎もああなったのだと。 今までずっと上様大事だけを胸にがんばってきた。 それはすべて悲劇を生み出すだけだったのだろうか。 「・・・お蘭、今勅使を出してきた」 障子を開けて入ってきた信長の言葉に、蘭丸は首を傾げて寝ていた身体を起こした。 「勅使、というのは・・・」 「そなたを奏者を中心とした諸事奉行、加判奉行の任につけようと思う。その旨を 各大名たちに書状で送ったのだ」 蘭丸は目を丸くした。 奏者というのは信長の厳命を伝える役で、大名達と相対しても引けを取ることなく、又、 それ以上の重い役目ともいわれている大任だ。 諸事奉行とは城の一切を取り仕切る小姓頭のさらに上の役職にあたり、加判奉行とは 信長の書状に押印を行う役目のことだった。 そのすべてを担うということは事実上、織田勢の中でかなりの位置を占めることにあたる。 蘭丸は言葉なく首を左右へ振った。 まだ十五という若輩の蘭丸がその任にあたるのは早すぎると思うからだ。 「これはもうわしが決めたことだ。信長の厳命ぞ」 「なぜゆえ・・・そのような・・・」 「小姓頭とはいえ、その地位は確かなものではない。また今のうちにそなたを亡き者にしようと 企む輩が生まれるやもしれぬ。だからわしは先手を打ちたかったのだ。この任につけばお蘭に はむかうものはこの信長に楯突くも同じこと。それがよりはっきりと目に分かる」 信長の声も目も、すべてが真剣であった。 蘭丸を思えばこその采配だが、蘭丸はそれを大人しく受領することができない。 「されど・・・・・私には・・・」 蘭丸は言葉を濁した。 新太郎の言葉が胸深く貫いているからだ。 それを察した信長は蘭丸の隣に腰を下ろすと、そっと肩を触れ合わせ間近に囁いた。 「お蘭よ、わしはそなたが傍にいてくれてよかったと思うておる。そなたに逢うてまたいろいろな 発見をすることができたし、なによりも毎日が楽しく感じる。そなたはそうは思わぬか?」 「・・・上様・・・」 「万見のこともそなたが悪いなどと欠片も思ったことなどないわ。あれは新太郎が 嫉妬せんばかりに告げた戯言よ」 そう言うと信長は蘭丸の横髪にそっと口元を寄せた。 ふわりと信長の匂いが蘭丸の鼻につき、知らず安心を与えてくれる。 「・・・わしの傍から離れることは許さぬ」 信長はそのまま片手で蘭丸の頭をぎゅう、と抱きしめた。 初めて逢った頃よりもずっと激しく愛しさを感じている。 それは万見への信頼とはまた違った激流のごとき愛だった。 ここ最近の蘭丸の危機のおかげで、信長の蘭丸を大事にしたいと思う気持ちは 抱えきれぬほどに成長していた。 本当ならば鍵をかけて一生手元に置いておきたいほどだ。 けれど蘭丸は籠の鳥のようなその生活をよしとしないだろう。 信長は確実に蘭丸の全てを愛し始めていた。 だからこそ蘭丸の意見も重視したいと思うのだ。 「蘭丸で・・・よろしいのですか?」 ずっと思っていた疑問を、蘭丸は言葉にしてみた。 どんなに勉学ができようとも、他人に褒められようとも、蘭丸はおごることを知らない。 そのため蘭丸は自分がなぜこんなにも信長に重用されるのかわからなかった。 蘭丸が信長を愛しいと思い命がけで仕えるのと同じくらい、信長もまた蘭丸のことを 大事にしていることを本人だけが気づいていないのだ。 「お蘭がいい」 信長は短く応えた。 後は抱きしめた腕の力強さで理解することができる。 こんなにも自分を必要としてくれている信長に蘭丸は目頭が熱くなる思いだった。 どんな罵りの言葉でさえも、信長がいてくれれば浄化されるように感じられる。 蘭丸はおず、と伸ばした手で信長の背をそっと抱きしめた。 「・・・・・蘭丸は、上様が好きでございまする。ほんに、ほんに・・・」 「お蘭よ・・・わしもそなたが愛しい。ずっと離したくはない」 そう告げて二人はしっかりと互いを腕に収めた。 どんな修羅の道でも信長のために歩もうと。 十五の蘭丸が奏者の任につくことはその決心を確実なものとした。 そして時代は加速する。 二人を包む、本能寺の炎へと。 |
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