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森蘭丸異聞 - RANMARU MORI - 第十八章
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初夏の風が吹き抜ける季節、万見の命を奪った有岡攻めはまたひとつの 転機を迎えた。 明智光秀が波多野氏を下し毛利の援軍が有岡の城へ兵量を届けることが 出来なくなったのだ。 これにより有岡落城は時間の問題となった。 時同じくして信長の石山本願寺攻めも架橋に入ってくる。 本願寺は蘭丸の母、妙向尼を通じて信長へ和議を申し入れてきた。 蘭丸もまたこの和議に賛同したため、信長はそれを受けることとなる。 しかしこれはまだ誓詞を交わしていない口約束のものだった。 「蘭丸殿、本願寺の母上が心配か?」 堀にそう尋ねられ蘭丸は渋り顔になった。 心配でないわけがないが、それを言えば堀にからかわれると思ったからだ。 「蘭丸の心は上様の心でございまする。上様がもし母を討とうというのであれば それは私の心でもありまする」 「・・・素直でなくなったな、蘭丸殿。昔はもっとかわかったというのに」 たかだか一年前のことだというのに、堀はやけに昔の話をするかのごとく目を細めて呟いた。 その言葉にますます蘭丸の顔は渋くなってしまう。 「堀殿!またそのように話をはぐらかせて・・・」 「おおっと、藪蛇だったか。蘭丸殿のお小言は殿でさえ降参するからな・・・俺が悪かった、 今でも蘭丸殿は素直でかわいいぞ」 「そういうことではござりませぬ!」 まるで兄弟がけんかをしているように言い争う二人に、思わず傍に仕えていた 市若と甚七郎が笑い出した。 「いえ、申し訳ござりませぬ。笑ってはいけぬと思えばこそ、笑いが収まらなく・・・・」 そして甚七郎はまた笑い出してしまう。 蘭丸はそんな彼に毒気を抜かれてしまった。 「蘭丸殿は小姓頭だというに、ほんとうにかわいくていらっしゃる。殿のご寵愛も 頷けるというもの」 そう告げる市若は正直者で通っていた。 きっとこの言葉の意味も小姓頭らしくしろという嫌味ではなく、褒め言葉なのだろう。 蘭丸はなんだかとても気恥ずかしくなってしまう。 「ではそろそろ夕餉の時間です故、膳を持って参りまする」 まだ口元を笑わせたまま甚七郎が腰を上げた。 「ああ、では私も夕餉を取ってから部屋に戻るか」 それを受けて堀も席を立つと甚七郎とともに蘭丸の部屋から引き上げてゆく。 堀の部屋は信長の部屋の真下、敵が侵入して信長に槍を突き立てないよう 守る場所にあった。 この場所の守りは当番制になっているため通常堀は城下の自分の屋敷へ戻ることが多い。 その家はもともと万見が使っていた屋敷で信長が直々に下賜したものだ。 これには蘭丸も一枚噛んでいた。 万見はほとんど家に戻ることはなかったがそれでもなにかを渡したいと蘭丸は思っていた。 屍骸は墓に埋められ、遺髪は信長と蘭丸で分けることになった。 堀に残された万見のものは組紐ひとつだけだった。 それで十分だという堀を説き伏せて蘭丸は彼に万見の屋敷を引き継いでもらうことにした。 もしも違う屋敷に堀を住まわせていたら、堀は家に戻ることなく信長を守り続け無理を 身体に溜めていただろう。 しかし万見の屋敷ということあってか堀にとって家は安らげる場所になっていた。 堀と甚七郎が飯所につくと、いろいろな人間があわただしく動いていた。 「・・・ええと、私の分は・・・」 さっさと蘭丸の膳を取りに向かってしまった甚七郎においてけぼりを食らった堀が 視線をさまよわせる。 そこへ新太郎の姿が目に飛び込んできた。 膳を取りに行く甚七郎を避けるように飯所から消えてゆく。 堀は目を眇めてそれを見送った。 「・・・堀殿、見つかりませぬか?なれば小姓の誰かに持たせます故・・・」 「甚七郎殿、今日は新太郎殿は飯番の日か?」 膳を持って戻ってきた甚七郎に堀が尋ねた。 すると甚七郎は思い出すように目を細めてから首を左右へ振る。 「いいえ?今日は非番でござります故、控えで休んでいるかと思われますが」 「今、あちらのほうへ消えていった」 「・・・・・新太郎殿がですか?」 「そうだ」 堀の言葉に甚七郎は不思議そうな顔つきで首をかしげた。 事を荒げてはならぬと堀は平然を装って肩を竦めてみせる。 「いや・・・勘違いだったのかもしれないな。気にしないでくれ」 そして堀は自分の膳を取らずに新太郎が消えたという方向に歩き出した。 本当に新太郎だったのか、確かめるためだ。 もしもなにかを企んでいるとしたら止めなければならない。 甚七郎が蘭丸のもとへ戻っていくのと反対方向に、堀は新太郎を追って消えた。 新太郎はすぐに追いつくことのできる裏井戸にいた。 見るとためた水で必死に手を洗っている。 「新太郎殿・・・いかがなされた」 堀がそう尋ねると、彼はびくりと大きく肩を震わせて青い顔で振り返った。 「ほ、堀殿・・・・ッ」 新太郎は堀の顔を確認すると慌てた様子で桶に溜めていた水をひっくり 返して捨てる。 その挙動不審さに堀の眉根が寄った。 「・・・なんでもござりませぬ。ねずみの屍骸がありました故、片付けたところ手を 洗っておりました」 僅かに語尾を震わせて新太郎が答える。 堀は刀に手を当てたまま新太郎へ詰め寄った。 「本当だな?・・・まさか、愚かな事は考えていないだろうな」 「愚かとは・・・はて、どのように」 しらを切ろうとする新太郎に堀の神経を逆撫でした。 ますます二人の距離は縮まってゆく。 「以前に滝川殿の御前で蘭丸殿を転ばせたのもそなたであろう?なぜ、 同じ小姓同士で争う?」 この言葉に新太郎はぎくりと動きを止めた。 「し、知りませぬ」 「言い逃れても無駄だ!それは肯定しているも同じぞ」 怒りを抑える堀の声に今度は新太郎が激昂する。 「・・・・・堀殿にはわかりませぬ!万見殿や蘭丸殿や・・・上様の覚えめでたき 御方々には、わからぬことでございまする!」 「新太郎殿・・・・・」 新太郎は拳をぐっと握って堀のことを睨んだ。 その双眸は明らかな嫉妬と畏怖をはらんで黒く光っている。 「後から入ってきたものに地位も何もかもを抜かされていく気持ちなどわかりませぬ! 蘭丸殿など容姿だけで上様に取り入った淫乱ではござりませぬか!尻振れば小姓頭が 手に入るなどなんと簡単なことか!」 「なんということを・・・・!」 堀は耐え切れずに新太郎の頬を激打した。 蘭丸を侮辱されたことも腹にきたのだが、それよりも万見を侮辱されたようで堀は激怒した。 「蘭丸殿は勉学に励み、森家復興のため眠る間も惜しんで働いている。 努力しなかったことなどないほどだ! それに才もある・・・・これ以上適任な者はおらぬだろう!?」 「才ならば私にもありまする!ただそれを、ただそれを披露する場がなかっただけのこと! 容姿さえもっと眩ければ今頃小姓頭は私が勤めていたはず!それを・・・あの淫乱が・・・」 「お前と・・・いう奴は・・・」 堀は言葉を失ってしまう。 嫉妬などという言葉を超えたひどく醜い感情が新太郎の中にはあった。 他人の境遇をただ疎ましく思い、自分の力に酔いしれ他のものを 排除しようとするその悪辣さ。 堀は新太郎から吐き出される毒に全身をいたぶられるような感覚に陥った。 「ほ・・・っ、堀殿っ!」 そこへ慌てた様子で甚七郎が駆け寄ってきた。 どうやら話し声が聞こえそれを頼りに裏井戸へ来たようだ。 「大変でございまする!蘭丸殿がお倒れに・・・!上様には言わず、堀殿を呼べと・・・っ」 「何だと!?」 堀は思わず新太郎を見やった。 彼は激昂で赤くなった頬を緩め密かに笑った様子だった。 万見と心配していた事柄が現実に起こってしまったのだ。 「・・・新太郎・・・!そこまで愚かだったか!」 堀は反吐の出る思いで新太郎をきつく睨みつけると、一目散に蘭丸の部屋へ走り出した。 残された甚七郎もきつい双眸で新太郎を見ている。 「・・・・よもや、新太郎殿・・・蘭丸殿に毒を盛ったのでは・・・」 疑い半分に甚七郎が問うた。 細面の美形である甚七郎がその顔を固くすると妙な凄みがある。 新太郎は喉に声をつまらせながら叫んだ。 「そっ、そのような証拠がどこにある!?濡れ衣もはなはだしい・・・!」 「証拠などわからぬ!されどもしも他に犯人が見つからねば私も堀殿も見たままを 上様に告げる!」 ぴしゃりと甚七郎は言い放った。 そして自分も蘭丸の介護に向かおうと背を向けたその瞬間だった。 「う・・・あああっ!」 新太郎のうめき声と、どすんっと身体と身体がぶつかりあう音が響く。 脇差を引き抜いた新太郎が甚七郎を背後から刺したのだ。 刃渡り一寸程度の刀は深くまで甚七郎の身体に刺さっていた。 「なっ・・・・」 驚いて背後を振り返ろうとする甚七郎の目に、新太郎の狂気に満ちた顔が映った。 「上様にそんなことを言われたら・・・小姓頭になれないじゃないか・・・」 ずるり、と脇差を引き抜くと甚七郎の身体はその場に崩れ落ちる。 そこを狙って再び新太郎が刃を肩甲骨の下へ振り下ろした。 「困る・・・それは困る・・・困るんだ・・・っ」 「ぐっ・・・うっぐ・・・」 何度も背に刀が振り下ろされ、その度に新太郎は返り血に赤く染まった。 「蘭丸殿!無事か!」 叫びながら蘭丸の部屋へと飛び込んだ堀の目に入ったのは、倒れた蘭丸と市若、 そしておそらく甚七郎が呼んだのであろう虎松の姿だった。 「お体が痺れている様子でございまする!甚七郎殿がおっしゃられるには市若殿が お毒見をしたのち、蘭丸殿が一口食べた頃合に市若殿が苦しみ出したと。そして後を 追うように蘭丸殿もお倒れに・・・」 説明を耳にしながら堀は急いで蘭丸の身体を抱き起こした。 唇が紫に変色してはいるが、まだ心臓は動いている。 ふと、堀は新太郎の行動を思い出した。 やたらと手を洗っていた新太郎の事を。 あれはねずみなどではなく、なにかの毒を流していたとしたら。 「・・・椀を貸せ!」 叫んで虎松にそれを取らせると堀はクン、とその香りをかいだ。 よくよく見てみると飯粒もうっすらと黄色に変色している。 「・・・・河豚か!?」 堀はぞくりと背筋を凍らせた。 もしもとら河豚の肝臓などであれば助かる見込みはほぼない。 しかし倒れた二人ともにまだ息があるところを見ると、多分腸の毒を盛られたのであろう。 河豚毒は一過性のものが多く、毒性によっては致死量を食さなければ助かる場合もある。 堀はそのことに一縷の望みをかけた。 「虎松、すぐに柿湯の用意だ!」 虎松が堀の指示に頷くと、急ぎ足で走り出す。 柿湯は河豚の毒を中和することはないが、回復を早める効果があった。 まだ死んでいないのであれば致死量には至ってない。 ならば早く回復させて呼吸器などが衰えるのを防ぐしかなかった。 堀は二人をふとんに寝かせると再び新太郎の下へ走った。 |
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