森蘭丸異聞
- RANMARU MORI -

第十六章   


天高く舞う花に添えて





しばらくして、蘭丸はだいぶ陽が登ったことに気がついた。
はなから数など数えていなかったが、もうこれ以上は出せないというほど達したとき
蘭丸は気絶するように眠りについた。
男は約束どおり再び触れてくることもなく、また、眠る蘭丸に危害を加えることもなかった。
筋力が戻ってきて、ふとんの上で気が抜けたようにぼんやりとする。
「失礼、入るぞ」
そこへいきなり男の声がしてぶしつけに障子が開いた。
蘭丸はあわてて着衣をかき寄せる。
「・・・お、すっきりした顔してるな。・・・これは着替えだ。後で風呂に入るがよい」
「・・・・お手数を、おかけいたしまする」
蘭丸は掠れた声で礼を告げゆるゆると頭を下げた。
考えてみればこの男は昨夜、隣の部屋にずっといたのだ。
蘭丸はあのあられもない声を一晩中聞かせてしまったかと思うと顔が
上げられないほど真っ赤になってしまった。
「なに、大事無い。腹も減っただろう・・・じきに・・・ああ、来た」
言われてちらりと上目使いに視線をやると、細身の男が膳を持って入ってくる。
その顔をじい、と見つめると蘭丸は昨日の役人の姿を思い出した。
そう、直江兼続だ。
先日は役人頭の頭巾をかぶっていたが、今は前髪がしっかりと垂らされている。
「・・・・こ、しょう・・・?」
思わず驚いたままに言葉を口にすると、直江は優しい笑みを浮かべたまま頷いてみせた。
「はい、小姓でございまする。殿のご命令で役人頭に化けますれば、最近とみに
酷くなっていた人身売買の闇商人を捕らえるべく動いていた所存にございまする。
急なこととは言え、森殿にははしたなき言葉で接したことを謝り申したく存じまする。
許してくだされますか?」
そう言って深く頭を下げた直江に蘭丸は何度も首を左右へ振った。
「そのような・・・私は・・・」
間者であることを口にすることはできず、蘭丸は言葉に詰まってしまう。
すると直江の横に座っていた男が直江の髪をくしゃりと撫でるように笑いかけた。
「こら、兼続。森殿が驚いているではないか。そのようにまくし立てるでない」
「はっ!申し訳ありませぬ、殿」
慌てた様子で直江兼続は男の影へと引いた。
そして男は再び蘭丸のほうへ向き直ると一礼して自己紹介を始める。
「私は上杉景勝と申す。森殿の噂はこちらまで聞き及んでいる。万見亡き後、
信長の傍仕えを継いでいる美貌の少年がおると・・・こちらもまだ争い絶えぬ故、
見苦しいところを見せてしまった」
「いえ、とんでもございませぬ・・・・あっ!う、上杉っ!?」
ゆったりと頭を下げかけた蘭丸が慌てて首を戻して目を丸くする。
信長を長年苦しめた謙信の息子、その景勝が目の前の男だというのだ。
景勝はまだ若く、年のころは二十三、四。
確かに無骨そうな顔つきは武将のそれに違いないが、蘭丸が想像していた風体には
遠く及ばずまるでキツネにでも化かされたかのように蘭丸は固まってしまった。
しかしすぐにはっとしたような表情をして転がっていた脇差を手にとりいつでも
抜けるように構える。
「・・・・・助けていただいたことには恩義を感じまするが、私は何もしゃべる気はござりませぬ」
蘭丸がきつく上杉を睨みつけると、上杉は大口をあけて笑い出した。
「そう猫のようにいきり立たずともよい。先に申したであろう?危害を加える気はないと。
そなたが森蘭丸殿であれば私は何もする気はない。誓って言おう」
上杉の目は嘘をつくような濁ったそれではなかった。
もしも嘘をついているのならば、普通の人はなにかしら兆候があるものだ。
視線をそらしたり、妙にそわそわしたりと。
しかし上杉はそういった動作をしないばかりか、痛いほど誠実な目で蘭丸のことを
見据えていた。
そんな上杉の視線を受けた蘭丸は今しばし緊張を保っていたが、相手の思いを
受けゆっくりと脇差を膝へ戻す。
「何故ゆえに私を助けまするか?」
ふいに蘭丸は思いついた質問をぶつけてみた。
織田の勢いに押されている彼らにとって蘭丸を助ける利益がおよそ見つからないのだ。
上杉は顎に手をやって往復させ、うーんと唸ってから視線を蘭丸へ移動させた。
「表向きは闇商人を捕縛するのに一役買ってもらった、というところだな」
「表向き、でございまするか?」
「実は一度殺そうと思った。されど兼続に止められたのだよ。自分の大事に
ありながら、上様、上様とうなされる小姓は他人のように思えぬ、と。してみれば、
私も兼続が死んでしまうのは耐えられぬと思うた。ならば一度だけは命を助けて
しんぜようと、目を瞑ったのだ」
蘭丸はその言葉を受けて膳の用意をする直江を振り返った。
すると直江はにこりと笑いかけて再び膳を整え蘭丸の前へと差し出してくる。
視線も交わさない上杉と直江だったが、確かに二人の間には緩やかに甘い
空気が流れていた。
「・・・上杉殿は直江殿を・・・」
問いながらも蘭丸は妙に納得していた。
もしも直江が織田領に間者へ来ていたら、きっと自分も同じように信長に助命を
願い出ただろう。
寵愛されている小姓ほど主君の悲しみも深い。
それは万見を失くした信長の嘆きを見ていたから、痛いほどわかっていた。
「ああ、愛している。俺にとってはふたつとない宝だ。兼続がいたからこの跡目争いにも
勝つことができた」
言いながら上杉は直江の身体を抱き寄せた。
直江は端整なその美貌を笑みでほころばせて上杉の顔を見上げている。
下手な言葉を並べられるよりも彼らが互いを大事にしていることが伝わる抱擁だった。
そんな二人の様子に思わず蘭丸は笑みを零してしまいそうになる。
しかし上杉はすぐに直江の身体を離すと、胡坐をかいたまま目を細め真剣な
顔つきへ変わった。
その張り詰めた空気は蘭丸にも伝染し、知らず顔の筋肉が強張ってしまう。
上杉は握った拳をさらに強く握り締め、低い声音で蘭丸に語り出した。
「・・・・我が越後は今、空前の窮地に追いやられておる。跡目争いで国力が
衰えた上、武田も織田も、容赦なく攻めいろうとしてきた。・・・・森殿、そなたに
ついてきたのであろう?柴田勝家は。あやつにはすでに城をひとつ攻め落とされている。
機会こそあらば煮え湯を飲ましてやりたい」
「・・・・・・」
蘭丸にはその思いが痛いほどわかった。
村重謀反で味わったあの深い心の傷は今も癒えることはない。
「そなたを利用して織田軍を引かせることは可能だが、今は国力を盛り返すのが
精一杯の有様だ」
上杉は両手を畳の上につくとぐっと唇を噛んでから蘭丸の顔を見つめた。
「・・・・森殿、どうか信長に進言してはくれまいか。上杉に命を救われたと。それ故、
越後からは手を引いてはくれぬかと」
上杉の目は真剣だった。
一度は蘭丸を殺める手を収めたのは、直江兼続が止めた言葉に感じ入ったためだろう。
けれど上杉はその事実を利用し、蘭丸に越後攻めをやめさせるよう裏手を打ってきたのだ。
敵の小姓に頭を下げて懇願するなど名だたる武将にとってどれほどの苦痛であろうか。
蘭丸は喉まで出かかった了承の言葉を飲み込み、煮え湯を飲んだ表情で首を
左右へ振りかぶった。
「・・・それは・・・・出来ませぬ。上様の望みは天下統一。ならばそれは蘭丸の夢にも
ございまする。上様の足手まといになるのであらば、森蘭丸、この命少しも惜しくは
ござりませぬ故、今ここで自刃いたしまする」
そう答えた蘭丸の目も真剣であった。
どんなに利害が一致せずとも、たぶんこの二人ならば自分の思いを汲み取ってくれる。
蘭丸はそう考えていた。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
しばらく両者は睨みあう。
言葉は交わさねど、それだけで互いの気持ちは痛いほどにわかった。
国を救いたい一心の上杉と、上様大事の蘭丸の真剣な思いがぶつかり合う。
・・・先に折れたのは上杉だった。
蘭丸の真っ直ぐな視線に自分が言った取引の言葉が恥ずかしくなったのだ。
「・・・・すまなかった。そうだな、戦国の世でそのような甘い言葉が聞き届くとは
俺も思ってはいない」
苦笑をもらして体勢を戻した上杉の膝に傍に座る直江の片手が添えられた。
こんな小さな気遣いでも二人の絆が垣間見える。
蘭丸はひどく信長に会いたくなってしまった。
「私を・・・お殺しになられますか?」
静かな声の蘭丸の問いに、上杉の目が伏せられる。
そしてゆっくりと首を左右へ振った。
「いや。そんなことをすれば信長はすぐにでも越後に攻め入ってくるだろう。
それこそ命取りだ。今回は無事にお返しすることにしよう」
曇りのない笑顔で上杉は告げた。
先ほどまでの苦しい表情とはまったく違った様子に、蘭丸は密かな尊敬を抱いた。
きっと上杉は気骨溢れる男で卑怯な打算や敵を陥れるようなことはしないのだろう。
真正直にぶつかり、そして知略を張り巡らせて国を救う。
蘭丸はこの男ならば越後は危機を乗り切るだろうと確信した。
たとえ信長が越後を手に入れたとしても、上杉と直江には生きながらえてもらいたい。
蘭丸は心密かにそう感じていた。
「・・・では、蘭丸はお礼にここで見聞きしたことをけして上様にはご報告しないことに
いたしまする。せめてものご恩返し。いつかは対峙し、互いの命を取る運命なれど、
森蘭丸、恩義は一生忘れませぬ」
深々と頭を下げる蘭丸に上杉は笑ってその肩へと触れる。
上杉もまた、蘭丸の心意気に敬意を抱き好感を感じているのだ。
蘭丸は顔を上げ再び上杉の顔へと視線を移した。
「では、そのお礼として兼続に城下を案内させよう。口外しないのであればいくら見て
行ってもかまいはしない。・・・いや、それくらいの度量がなければ越後一国守れはしない」
この言葉に蘭丸は困ったような表情を浮かべてしまう。
「上杉殿、お礼のお礼では蘭丸はまた更なるお礼をせねばならなくなるではござりませぬか」
これを聞いた上杉は大きな声で笑い、促すように直江の手を取って前へと出させた。
「それはそうだ。ではこうしてはどうだ?兼続とは年が近い、戦友として案内させよう」
朗らかな雰囲気になった二人に直江も笑みを浮かべ、切れ長の美しい目を瞬かせて
蘭丸を見やる。
「よい案ですな。蘭丸殿はおいくつに?私は十八になりまする」
「私は十五になりました」
そんな直江に促されて蘭丸も微笑ながらに答えた。
同じ立場にある者同士の緩やかな会話に上杉は満足そうな笑みを浮かべる。
「では決定だな。・・・と、その前に飯を食って風呂に入って着替えだ」
言われて蘭丸はとてもお腹がすいていることを思い出した。
昨夜食いっぱぐれてから一口も食べていない。
「そうでございまするな。では失礼しまして・・・・」
蘭丸は礼を告げると用意された膳に箸をつけ始めた。

この時の誓いは一生、守りぬかれることとなる。
蘭丸は越後攻めについて一切の口を挟まず、そして戦闘に参加することもなかった。
信長が本能寺の炎に消えるまで上杉攻略は続くのだが、上杉景勝もまた
直江兼続とともに越後を守り抜くのである。


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