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森蘭丸異聞 - RANMARU MORI - 第十三章
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泉の守の首が掲げられた次の日、蘭丸は門前で羽柴秀吉を出迎えていた。 こういった訪問者の接待を行うのも大事な小姓頭としての務めである。 まだ肌寒さの残る気温の中で、秀吉は暖かそうな上着を着用していた。 衣を二重にしてそこに綿をつめている代物だ。 多少かさばるが馬に乗るときに秀吉は重宝しているという。 蘭丸はものめずらしげにそれを眺めた。 「私は上様のお隣でいつも異国の珍しゅうものを拝見させていただいておりまするが、 これもまた珍奇な形をしておりまする。秀吉殿がお考えになられたのでございまするか?」 「いや、これはねねの案でな」 「ねね殿が?そうでございまするか・・・ねね殿は秀吉殿のことをとても 愛しておられるのですね」 少しだけ照れたようにはにかんで、蘭丸は秀吉へと告げた。 秀吉夫婦は本当に仲がよい。 蘭丸はそんな二人が大好きであったし、秀吉もねねも個人として尊敬に値する 人物だと思っている。 蘭丸は秀吉のことを常に考えているねねのように、自分も信長のことを常に考えて 気をつけていようと考えを深めた。 「おや、小姓遊びをせぬ羽柴殿が蘭丸殿を口説いているとは・・・いやはや」 そこへからかうような口調で滝川一益がやってくる。 後には柴田勝家の顔もあった。 今日この三人が集まったのにはわけがある。 兼ねてから戦火の絶えない上杉領へ間者を送ろうというのだ。 その密談をするために信長のもとへこの面々が集められた。 「おお、蘭丸殿の美貌の前では男は皆、骨抜きというものよ」 滝川の口調に秀吉が乗った言葉を返す。 すると柴田も笑って会話に参加した。 「では羽柴殿は殿に横恋慕なさっているわけですな」 「いや、その・・・それを言われると弱ってしまう・・・まいったな」 秀吉は困り顔で眉尻を下げ、後頭をぽりぽりとかいた。 その様子に一同はどっと笑ってしまう。 「むう、わし一人を放っておいて皆で談笑とは捨て置けぬのう」 そこへもう一人、内衣に小袖を羽織っただけの男が現れた。 待ちくたびれて門前まで降りてきた信長だ。 「う、・・・上様!またそのような格好で・・・・・!」 蘭丸はきりりとした目をさらにきつく上げて信長のほうへと走り寄る。 そして自分の肩衣を脱ぐと失礼つかまつります、と一声添えて信長の肩へ羽織らせた。 「城中ならばよいのですが、外ではお風邪を召されまするぞ!」 蘭丸の物言いに信長が肩を竦めて三人を見やる。 「お蘭はいつもこうやってわしを叱るのじゃ。誰か助けい」 「上様ッ!私がどのように口をすっぱくしてご注進申し上げても、知らぬ存ぜぬ顔で いらっしゃるではござりませぬか!」 蘭丸は頬を膨らませてじろりと信長の顔を睨み付けた。 すると信長は藪蛇だと呟いて秀吉の影に隠れてしまう。 「上様、卑怯でございまするぞ!」 ますます蘭丸の顔が膨れ上がると、他の面々は声をたてて笑いだした。 「皆様方、上様を甘やかしてはいけませぬぞ!つい先日も蘭丸に黙って 仏間の蕎麦饅頭をお摘みに・・・」 「おお、お蘭!それは二人の内密事じゃと誓うたというに・・・」 信長が隠れていた秀吉の背中から顔を出した。 それを見ていた滝川は納得顔で一人零す。 「天を据える殿でも蘭丸殿のお小言には勝てぬと見えた。まこと最強なるは蘭丸殿よ」 この言葉でさらに面々は笑い声を大にした。 信長の居室へ戻ると蘭丸は他の小姓に茶と菓子の用意を命じ、信長の傍へと侍った。 「・・・・して、首尾はどうじゃ」 信長にそう聞かれ、真面目な面持ちで話し始めたのは柴田勝家だ。 「はっ、上杉城下の北側に廃寺がございまする。そこを拠点に間者を送れば もしもの時にも武装可能で無駄死にを避けられるかと」 「ふむ・・・廃寺か・・・なれば、虚無僧の形相で目くらましをかけるとするか」 信長の言葉に三名も同意の頷きを見せる。 上杉謙信は智将で知られ、織田領地では幾人もの間者が発見されていた。 信長もまた間者を送っていたが、上杉領に入る前に殺害されてしまっていた。 そして一年前の三月、謙信が脳卒中で死んだために越後は家督争いの舞台となる。 年があけて早く、その家督争いは景勝の勝利で終結を迎えた。 そのため混乱する越後を屈服させるためにも安全を確保しながら上杉の動きを 見る拠点を探していたのだ。 「ではサル、間者に向いたものはおるか?」 「はぁ・・・それが、なかなか適任なものがおりませんで・・・技量のあるものはほとんど 顔が知れています故、無名で才のある男というとなかなかに・・・・・」 秀吉は言葉を濁してそう苦笑した。 信長もそれはわかっていたため、とくに咎めたてることはしない。 「やはりか・・・本来ならば堀あたりが担う役だがあれは先日の雑賀攻めで 名を上げすぎたからな」 「市若殿などいかがでござりましょう?先日の初春俳ではなかなかの才ある ところを見せておられた故」 滝川の言葉にも信長は苦い表情を見せる。 「いや、あれも雑賀攻めの際に使いに出しておる。それに長きに渡りわしに 仕えておる故、上杉の間者も顔は重々承知しているであろう」 それから皆は一様に黙り込んでしまった。 あちらをたててはこちらがたたぬ、といった具合になかなかよい人材が見つからないのだ。 「・・・上様」 ふと、声をかけたのは蘭丸だった。 一同は視線を蘭丸に合わせると、その口が開かれるのを待つ。 「そのお役目、私めにお任せくださりませぬか?」 優美な笑みを浮かべて告げる蘭丸に、信長以外の三人はぎょっと肝を冷やした。 間者という危険な役目を信長が許すはずがない。 それどころか下手をすれば信長の勘気に触れ、大変なことになりかねないからだ。 「何と!?お蘭、そなたが行くと申すのか?」 「はい。私ならばまだ安土から出たことがござりませぬ故、顔は知られておらぬかと」 「ならぬ!わしの傍から離れぬと申したではないか!わしの宝をそのような 場所へはやりとうない!」 信長は有無を言わさぬ様子で蘭丸を怒鳴りつけた。 しかし蘭丸はとても惹かれてしまったのだ。 間者として上杉領に忍び込み、その様子を見てくるというその冒険に。 蘭丸は一喝されてもなお引かず信長の前へ両手をついた。 「上様!上様はこの蘭丸が敵におめおめと捕まり命を落とすような間抜けだと 申されまするか!?」 「な、なんじゃと!?」 蘭丸の挑発的な言葉に信長の眉尻が釣りあがった。 同時に諸大名は胃のあたりがきりりと痛むのを感じたが、口を出すことも出来ず はらはらと成り行きを見守っている。 「蘭丸は上様のお役に立ちとうございまする」 「・・・ならぬ。そう言うて仙千代は遠くへ旅立ってしもうた・・・わしはもう失いとうない」 「されど此度は皆様方の精鋭部隊が揃っておりまする。いざとなればこの蘭丸、敵陣に 屍の山を築いても上様の御前に戻ってきましょう。森長可の仕込みでございますれば・・・・」 「ならぬといったらならぬ!!」 蘭丸の口上を信長の怒声が遮った。 そしてあたりはしん、と静まり返ってしまう。 蘭丸はすがるような目で信長を見つめた。 「・・・・・・・・・・・・」 信長はそんな蘭丸の目には弱い様子でつい、と視線を逸らしてしまう。 もう一押しだと蘭丸は思った。 「・・・わかりました。上様がそのような意地悪をおっしゃられるのであれば、蘭丸は しばらく上様とはお会いしとうござりませぬ。私以外の間者が吉報を持ってくるまでは 上様と口を利きませぬ!」 「な、なんと・・・お蘭、そのように怒らなくても・・・」 潔く啖呵を切られた信長があせった様子で蘭丸の前へとしゃがみこむ。 両手でその肩を押さえて機嫌を取るように顔を覗き込んできた。 「上様は私を能無しと思うておられまする。それ故大事なお役目を 申し付けてはくれませぬ」 「そうではない、そうではないぞ」 「では私を間者として送り出してくだされまするか?」 蘭丸がにっこりと笑みを浮かべて信長に尋ねた。 信長は小さくうっと呻いてしぶしぶ首を縦に振る。 「・・・・・わかった、わしの負けじゃ。されどお蘭に手傷のひとつでもあれば、森家は つぶれると思うがよい。必ず無傷で戻ってくるのだ、よいな?」 「上様・・・かしこまりました。お蘭は上様の下へ無傷で戻って参りまする」 ようやく話がまとまった様子に思わず秀吉は安堵の息を吐いた。 気性の激しい信長に噛み付く蘭丸の度胸もすごいが、口を利かぬといわれただけで 動揺するほどに蘭丸を寵愛している信長もすごいと感心してしまう。 男には興味がない秀吉にとって、どこか絵物語のような世界だ。 以前の小姓頭であった万見仙千代は殿を扱うのに長けていたが、けしてこのような 口論は起こさなかった。 きっと蘭丸だからこそ歯に衣着せぬ物言いが出来、また信長もそんな素直な 蘭丸だからこそ話を聞くのであろう。 蘭丸の言葉には嘘がない。 素直に信長を気遣い、素直に信長の役に立ちたいと言っている。 そんな欲のない姿がますます信長を夢中にさせていた。 「・・・ほんにお蘭にはかなわぬわ。・・・・・したが、お蘭、これを持っていけ」 信長は腰にさした脇差を手に取ると蘭丸のほうへずい、と差し出した。 蘭丸は目を丸くしてそれを見やる。 その脇差には織田家家紋の木瓜文様が刻んであり、天下の名刀と渾名される業物だった。 「上様のお気持ちは嬉しゅうございまするが、そのように大事なものを 蘭丸は受け取れませぬ」 「よい、わしの気持ちじゃ。わしはお蘭の気持ちを受け取ったぞ。 ではわしからの気持ちも受け取れい」 「・・・・ははっ」 蘭丸は一歩前に出てその脇差を受け取った。 ずしりと手に重いそれは金があしらわれ、それは見事な刀だった。 「殿!この滝川、命に代えましても殿の宝をお守りいたしまする」 「柴田勝家、右に同じでございまする」 この作戦に参加する両名が深々と頭を下げた。 それを見て蘭丸は少々申し訳ない気がしてきてしまう。 蘭丸はこの作戦のため一ヶ月後の四月初旬、虚無僧に変装して越後へ赴くこととなる。 |
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