森蘭丸異聞
- RANMARU MORI -

第十二章   


天高く舞う花に添えて





春色が濃くなってきた晴れた日、信長の元に和泉の国の太守がやってきた。
信長へのご機嫌伺いだ。
自分の国で取れた絹で最上級のあつらえをした派手な陣羽織をはじめ、
いろいろな品を持参している。
そこには森蘭丸あてのつづらもあった。
諸大名たちにも蘭丸が信長の寵愛を一身に受けていることが広まっているのだ。
だからこぞって蘭丸の気を惹こうと、あるいは機嫌を取ろうと貢いでいた。
しかし泉の守にはもうひとつ狙いがあった。
大の美少年好きである泉の守は森蘭丸につづらを渡す名目でその顔を
見ようとしたのである。
蘭丸はいきなり昇進してきたいわば雨後の筍で、突然名声を高くした人物だ。
それまでは名前すら聞いたことがなかったし興味もなかった。
しかも蘭丸はほとんど安土から出ることはなかったし、泉の守も自分の国から
あまり外出することはなかった。
だから今まで逢うことはなかったのである。
信長が以前愛した万見仙千代もこの上ない美貌の持ち主であった。
ではその後を受けた蘭丸はどれほどの美貌なのか。
泉の守は楽しみに安土城へ登城したのだ。
・・・・・だが、泉の守が蘭丸に逢うことはなかった。
せっかくつづらを用意したというのに、信長は蘭丸を隠して逢わせようとはしなかった。
いつも蘭丸がやっているという引継ぎもどうやら下っ端の小僧を用意してきたらしい。
およそ泉の守が好みそうな顔立ちはしていない。
泉の守はなかば不貞腐れた顔つきで城下を去ろうとしていた。
そこへふと、裏庭から水音が響いてきた。
見ればまだ若い小姓が水凍をしている。
「・・・これは、これは・・・」
泉の守は好色の虫が蠢き出すのを我慢できなかった。
惜しげもなく瑞々しい上半身を裸にして、冷たい水を浴びてはその薄い肌を
花弁色に染めている。
艶やかな髪は高めに結われ水滴がまた匂うほどの色香を漂わせていた。
「・・・・・・・・これ、そのようなところで何をしておじゃる?」
にやついた口元を袖で隠しながら泉の守は小姓に近寄った。
運良く周りには誰もいない。
まだ夕餉には時間があるし、春といってもまだ寒い時期だから好き好んで裏庭に
来るやからもいないだろう。
今まで後姿だった小姓が声に気づいて振り返った。
「・・・・・!」
思わず泉の守は息を呑んだ。
花の顔(かんばせ)は小さなそこに見事な整え方で目鼻立ちを置いている。
大きめの瞳はまるで誘うがごとく僅かに潤み、すらりと伸びた鼻梁の先には
ふっくらとした柔らかそうな唇がある。
顔だけではない。
全身から甘い匂いがして優美な幻想にとらわれそうになる。
「・・・もしや、森のお蘭殿か?」
泉の守ははやる鼓動を抑えながら尋ねた。
すると小姓、もとい蘭丸は居を正して丁寧にお辞儀をしてくる。
「はい、森蘭丸にございまする。・・・・失礼ですが、私に見覚えが?」
蘭丸は心の中で首を捻った。
泉の守の顔を見たことがないというのに、自分の名を口にしたからだ。
知り合いであれば顔を覚えているだろうし、信長のもとに来た大名たちも
ほぼ目通りしている。
しかし泉の守だけはどうにも記憶に上らないのだ。
「逢うのは始めてでおじゃる。泉の国の太守をしておる米田一基じゃ」
「はっ、失礼つかまつりました」
やはり面識はなかったのかと蘭丸は心の中で呟いた。
しかしそんな彼とは裏腹に泉の守の視線は蘭丸の顔と身体に釘付けであった。
はじめは見るだけだったはずが、どうにも蘭丸と関係を持ちたくなってしまったのだ。
「・・・・わしは功というものを習得しておる。気を操して肉体を鍛錬させる技じゃ
・・・どうだ、そなたに伝授しようか?」
知恵のない泉の守の精一杯の知略だった。
本当は書物で読んだだけで気功など全く身につけてなどいなかったが。
「・・・はぁ」
蘭丸はわけもわからず、頷きを返すしかなかった。
無碍に断っては信長の名聞に傷をつけるかもしれないからだ。
この答えにしめたと泉の守は思った。
性急に蘭丸の身体へ手を伸ばすと値踏みするかのようにさわさわと皮膚を往復させる。
「この脇腹に気を溜めるのじゃ」
顔つきだけはいたく真剣にそう言いながら泉の守は興奮していた。
指先に吸い付くような肌は押すとはずむ弾力で押し返してくる。
目下にある乳首は寒さのせいか少し尖っていた。
荒くなる鼻息とともに指に力が入ってしまうと蘭丸はくすぐったいのか
わずかに身じろぎした。
「動くでない・・・これから説明するでおじゃる。・・・・これが陰の節、こちらが陽の節・・・」
言いながら泉の守は手を徐々に上へと移動させてゆく。
脇に到達すると今度は鎖骨を何度も撫で中心の窪みから胸元へと指先を滑らせた。
そのなんともいえないねったりとした手つきに蘭丸は血の気を引かせる。
どうにも悪寒が止まらなくなって蘭丸が泉の守を制しようとしたとき、泉の守は
蘭丸の両胸をぐいっと揉んだ。
「・・・ッ!」
ぴくんっと蘭丸の顎が上向いた。
その耐えるような唇がまた色香を匂わせ泉の守を喜ばせる。
「おお、ここに気が溜まっているでおじゃるな?いけぬことじゃ、解放してやらねば・・・」
泉の守は鼻息荒く蘭丸の乳首を指の腹でぐいぐいと押し引っかいた。
「あっ・・・ぁ!」
かぁ、と蘭丸の頬が赤く染まる。
鈍感な蘭丸にも自分が何をされているのかようやくわかったのだ。
「お止めくださりませっ・・・・」
蘭丸が泉の守の腕を掴んで引き離そうとするのを、泉の守は蘭丸を井戸枠へ
押し付けることで留めた。
「これは功じゃ。鍛錬のうちじゃぞ」
泉の守の鼻息は蘭丸の耳元にまで近づいた。
両の親指は蘭丸の胸の尖りを抑えつけたままくりくりと円を描いて弄んでいる。
蘭丸は微量な快感よりも泉の守へのおぞましさを強く感じた。
さらに追い詰められた蘭丸の身体が井戸のほうへ反り返る。
泉の守はもう逃げられぬであろうと唇を窄ませ蘭丸の顔に擦り寄った。
「蘭丸殿!」
ふいに泉の守の後から声がかかった。
どきりとしたのは泉の守だ。
一瞬手が緩んだところを蘭丸がなかば突き飛ばすようにして両者は離れた。
「・・・!菊千代・・・いえ、堀殿!」
蘭丸は嬉しそうに声の主へと走りよった。
それは元服し名を堀秀政と改めていた菊千代だった。
堀は蘭丸を自分の背へ隠すようにすると泉の守に対峙する。
「これは・・・米田殿。いかがなされました?」
堀にすごまれ泉の守は顔色を失くした。
蘭丸と違い堀とは幾度か面識があるのだ。
「いや・・・わしはただ、蘭丸殿に功を教えていただけで・・・・・おお、そうじゃ、
わしは急いで泉の国に帰らねばならぬ。失礼するでおじゃる」
何かをとがめられる前にと泉の守はそそくさとその場を後にした。
それを見送ってから堀が小さく息を吐く。
「・・・・・何かされたのか?蘭丸殿」
「いえ・・・胸を弄られただけでございまする」
腰に垂らしていた袖を元に戻しつつ、蘭丸は口篭りながら告げた。
「それより、堀殿はいかがなされたのでございまするか?」
「そなたを探していた。殿がお召しだ」
蘭丸はぎょっとして背を正した。
「急ぎでございまするか?まだ濡れ髪のままで・・・ああ、どうすれば」
慌てる蘭丸に堀は小さく笑いかける。
「大丈夫だ。蘭丸殿が着替えている間、私が殿のお相手をしていよう」
堀の言葉に蘭丸は顔を明るくし礼を告げた。
そして信長を待たせるわけにはいかない二人は急ぎ城へと引き返す。
居城を変えた堀とのしばらくぶりの再会はこんなあわただしいものだった。



「上様、森蘭丸にございまする」
障子の前で跪き顔を見せた蘭丸に信長は不機嫌そうにうなづいた。
「ああ、手間を取らせて悪かったな。お蘭よ、そなたに渡して欲しいと言付かった」
言うと手を鳴らし隣部屋からつづらをひとつ、小姓に運ばせる。
それを蘭丸は目の端で追った。
「・・・これは?」
「泉の守からの贈り物じゃ。先ほど置いていったわ」
小姓が中身を見せてくれたが、滝川や明智、羽柴に徳川などの居並ぶ大名たちが
くれるものとは違い、あまりもらっても嬉しくない派手な陣羽織やらすわり心地の悪そうな
女の顔が描いてある座布団などがしまわれていた。
「・・・・泉の守殿ですか・・・蘭丸は、あまりあの方は好きませぬ」
小姓に自分の部屋までそれを運んでもらうよう告げ、蘭丸は肩を落としながら信長を見た。
信長もまた覇気のない顔をしながら蘭丸のことを見やる。
「ほう・・・逢ったこともないのにか?」
「お逢いしました。さきほど、この裏庭で」
瞬間、信長の双眸がきつく上がった。
「なんじゃと!?泉の守と逢ったと申すのか!」
途端にきつくなった信長の口調に傍にいた堀が視線を逸らす。
蘭丸は何故そんなに信長が怒るのかわからずきょとんとしている。
「はい、お逢いいたしました。森蘭丸かと仰せられたので、はいとお答えいたしました」
「・・・・・それだけか?」
そう尋ねられて蘭丸は口篭ってしまった。
信長の苛立ちはさらに深くなったようで蘭丸の言葉を待つ間扇子をぎゅう、と握り締めている。
「殿、米田殿は蘭丸殿に悪戯されておりました」
口を挟んだのは堀だった。
二人のなんともいえない空気に耐えかねたのだ。
「悪戯じゃと・・・!?わしの宝に悪戯したと申すのか!?」
「あ、あの・・・そうではござりませぬ、ただ触れられただけで・・・」
蘭丸の助け舟はさらに信長の勘気を煽ることになった。
「どこをじゃ!」
「・・・・脇腹と、その・・・胸を、でございまする」
困ったように項垂れてしまった蘭丸に信長は顔を真っ赤にした。
どん、と大きな音をたてて立ち上がると蘭丸の横をすり抜けて障子を開ける。
「だれぞ!長谷川を呼べ!」
廊下にいた小姓はそう言われて慌てて使いに走り出した。
「上様!?」
「うぬう、泉の守め・・・わしの宝に手を出すとは・・・」
蘭丸は困惑した顔で信長の前へと出た。
堀はあえて口を出そうとはしていない様子だ。
「何をされるおつもりですか!?」
「泉の国は淡輪徹斎にやる。あやつは長谷川に首を取らせて来させる!」
「う、上様・・・!そのようなことはお止めくださりませ・・・!」
そのまま城下に下りようとする信長を蘭丸はすがるように止めに入った。
しかし信長はそれを聞き入れようとはしない。
「わしの宝に手を出したのだ、それくらいの覚悟はあってのこと。いくらお蘭の頼みでも譲れぬ!
ここで許せば他にもうつけが現れるやもしれぬ!ええい、お蘭はここにおれ!」
信長はそのまま蘭丸を振り切り階段を下りていってしまった。
唖然とする蘭丸の肩を堀が引き起こす。
「堀殿・・・」
「蘭丸殿。殿は悋気を感じておられる。お止めするのは至難の業だ」
「しかし、それでは泉の守殿が・・・」
堀はいつにない真剣な目で蘭丸のことを見据えた。
「・・・・そうだ。蘭丸殿、よく心しておくのだ。そなたは天下の織田信長の寵臣。
そなたの言葉が殿を動かされる。そなたの言葉が一人の命を左右する。このことが
知れれば諸大名はそなたに媚びてくるしそなたを利用しようとする輩も
出てくるだろう・・・・・仙千代の時もそうであった。仙千代に逆らったものは
殿によって皆、命を落としていった。仙千代はそれをいつも気に病んでいたのだ。
・・・・殿の寵を受けるということが、わかるか?」
蘭丸は堀の言葉に愕然とした。
改めて気付かされたのだ。
自分の立場と、自分が信長の寵を賜ることの重大さを。
蘭丸はまるで何かを喉に詰まらせたかのような気持ちになった。

この泉の守の一件は蘭丸が理由となった始めての死者になった。
今後も蘭丸のために死ぬ人物が現れるが、そのたびに蘭丸は胸に
詰まる思いを感じることになる。


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