森蘭丸異聞
- RANMARU MORI -

第六章   


天高く舞う花に添えて





「大きな合戦になりまするか?」
呼ばれた光秀に代わり部屋を出た万見に、蘭丸は小さな声で尋ねた。
部屋へ下がる廊下で万見は首を傾げる。
「おや?蘭丸殿は戦が怖いか?」
「そういうことではございませぬ!・・・蘭丸は・・・上様も仙千代殿も心配なのでございまする」
からかわれたことに唇を尖らせながら蘭丸は万見の後をついて歩いた。
今回の件に関して、蘭丸は城での待機を命じられていた。
仙千代も、菊千代も、兄の長可でさえも設問隊として有岡城へ出向き、事あらば信長を
呼んで一戦交えるというのに。
蘭丸はただ遠い地の戦勝祈願をするしかないのだ。
「・・・・心配めさるな。上様は強いし、私は戦に出た経験はないが悪運が強い。大事ないだろう」
信長の部屋に一番近い個室の小姓部屋についた仙千代は、その障子に手をかける。
彼の部屋がそこだからだ。
蘭丸はその隣で、他の小姓たちはさらに階を下へ降りて大部屋に幾人かで寝泊りしている。
「されど、胸騒ぎがいたしまする。・・・・・鼓動が早ようて、困る故」
蘭丸は障子に触れていた万見の手を取って自分の左胸へと導いた。
早めの強い鼓動がその掌を何度も押し返してゆく。
「・・・蘭丸は仙千代殿が好きでございまする。兄のように慕っておりまする。
・・・どうかご無事に使命を果たせられますよう。ひたすらに、願いまする」
蘭丸の言葉は真摯だった。
ずっと仙千代について学んだ。
彼の優秀さも、心の深さも、信長への忠誠心も、全て学んだ。
けれどまだひとつだけ学びきれていないものがある。
仙千代の、この強さだ。
どんなに納得のいかないことでも、そこに吉を見つけて事態を好転させてしまう。
そこには確かな信念と決意のようなものが感じられた。
まだ十四の蘭丸は彼のそんな部分に惹かれ焦がれていたのだ。
「・・・・蘭丸殿。まだ戦になるとは限りませぬ。それに仙千代も蘭丸殿が大事故、
そんなに長くは放っておくつもりもござりませぬ」
優しい、いつもの笑みが万見の口元へ宿る。
その包み込むような柔らかな気に蘭丸は涙が滲む思いだった。
「・・・・・・蘭丸殿、私の仙千代に横恋慕なさるのは、そろそろやめていただきたいのだが」
ふと、茶目っ気のある言葉を口にしながら菊千代が現れた。
いつからいたのだろうと蘭丸が丸くした目を菊千代に向けると、彼は
肩を竦めてはぐらかしてしまう。
「菊千代、いつから私はそなたのものになったのだ」
「おや、連れない言葉だ。お前は相変わらず融通のきかない、真面目な奴だな」
「バカなことを言ってないで、部屋へ戻れ」
蘭丸が離した手で障子を開け自室へと戻ろうとする仙千代を菊千代が後から
強引に抱きすくめ押した。
「・・・・・!き、菊千代!」
慌てた様子で仙千代が彼を制しようとするが、菊千代はそのまま身体の半分を
仙千代の部屋へと入れてしまう。
「蘭丸殿を大事に思っているのはなにも殿や仙千代だけではない。
私にとってもかけがえのない人なのだから、
ちゃんと私の心配もしてはもらえぬかな?」
片目を瞑ってそう目配せする菊千代に蘭丸はへの字にしていた口元をほころばせた。
「何を申されておりまする。蘭丸はちゃんと菊千代殿のことも心配しておりまする故。
・・・・・無事に、お戻り下さいませ」
この言葉に満足して菊千代は頷きを返した。
「では、しばし仙千代を借りるぞ。出立までまだ間がある。後で三人で剣の稽古をしよう」
「はい!楽しみにしておりまする!」
二人のやりとりの合間に仙千代が必死にもがきながらなにやらぶつぶつと文句を
言っていたが、菊千代は障子をぴしゃりと閉めて二人で小姓頭の部屋に消えてしまう。
そんな二人の様子に、蘭丸は幾分か気力を取り戻して廊下に立ったまま
部屋に向かい一礼した。
「・・・・・気のいい奴らだな」
そこへ、兄の長可がやってきた。
他の人たちの姿はない。
たぶん信長が落ち込む蘭丸に気を使って長可だけ先に解放したのだろう。
「はい、兄上。蘭丸はお二人のことをとても尊敬しておりまする」
「そうか。よい友を持ったな。・・・・・蘭、部屋へ一緒に行こう」
そう促して長可が歩き出す。
その自分よりも大きな身体の横に並ぶと蘭丸も笑顔で足を進めた。
早く大人になることを強要された蘭丸にとって、家族と一緒にいれる時間は唯一年相応の
気持ちに戻れる時間でもあった。
だから長可の前では少し、いつもよりも子供になってしまう。
「蘭、兄が戻ってきたら剣術を指南してやろう。鬼武蔵の名は飾りではないぞ」
「本当でございまするか!?それならば蘭丸もすぐに合戦に出れるようになりまする」
蘭丸は心底嬉しそうに長可に微笑みかけた。
長可は舞うように美しく馬上で弓を撓らせ、剣を握れば修羅のごとき速さで敵の喉笛をかき斬る。
信長が乗り越えてきた戦を何度も勝利へと導いてきた立役者の一人が彼だった。
しかし返り血に全身を紅く染めながら鬼武蔵と呼ばれようとも、蘭丸にとっては優しい兄だ。
予定よりも短くなってしまった逢瀬に多少なりの寂しさを感じられずにはいられなかった。
「・・・・・兄上、戦はなくなりませぬか?合戦が起きるごとに私はこのような心の臓を
締め付けられる思いをせなければなりませぬか?・・・・・そして蘭丸が戦に出るときは、
誰かにそのような思いをさせなければなりませぬか」
蘭丸は故郷の母や弟を思い出していた。
自分が兄たちの戦に苦痛を感じるのであれば、故郷にいる彼らもまた同じ思いをしているだろう。
項垂れた蘭丸の頭を長可は大きな掌でそっと撫でた。
「・・・・・殿は天下を取られる。天下統一されたあかつきには、戦などなくなる」
長可の顔が鼻先が触れるほどに近寄ってくる。
蘭丸の目には涼やかな目元で艶やかに微笑む長可の姿が映った。
そして長可の目にはまだ幼い、けれど大きな目をひたすらに輝かせて自分を
見返す蘭丸の姿が映る。
「蘭、なんでも背負おうとせずに回りを見るのだ。誰もが人生の分かれ道に
戸惑い、傷つき、悩む。お前はこれから何度も選択を迫られるだろう。けれど
どんなときも初心を忘れず、殿を思う心を大事にするのだ。
自分に出来ないことは同じ志を持った友が必ず助けてくれる。
蘭は一人ではない。一人では、ないよ」
そして懐かしい香りのする長可の両腕にぎゅっと抱きしめられ、蘭丸は瞳を潤ませた。
「兄上・・・・がんばりまする。蘭丸、どんなときでも上様のために。けれど出来ぬことは
無理をしませぬ。誰かを信頼することが大事なのだと、兄上がお教えくださったから・・・・」
「・・・いい子だ、蘭」
長可はさらに蘭丸を強く抱きしめた。
いつでも死と隣り合わせの時代で、蘭丸を抱きしめることができるのはこれが
最後になるかもしれない。
それに蘭丸に常にがんばることを教えてしまったのは自分と母のせいだと、
長可は少なからず後悔していた。
安息の場なく気を張ることは命を取られる危険性も増すということだ。
優秀で素直な弟を長可は安易に死なせたくないと大事にしていた。
「・・・・・喉が渇いたな。蘭、一服立ててはくれぬか?」
部屋の前での抱擁を解くと、何事もなかったかのように長可が告げる。
それに合わせて蘭丸も赤くなった目尻を手の甲で擦りながら頷きを返した。
「はい、兄上!蘭丸、茶の湯も上達しました故・・・・・」
二人の声は蘭丸の室内へと消えていった。



十月下旬、からりとした空模様の中一行は旅立った。
しかし万見仙千代、松井夕閑、明智光秀らを有した詰問使は有岡城へ入るも
説得が難航してしまった。
そしてその中の一人、黒田官兵衛が有岡城に幽閉されたことがきっかけで戦火は
一気に燃え広がった。
摂津の豪族はそのほとんどが荒木を支持し、有岡城での篭城を開始させた。
荒木謀反の完全連絡を受けた信長はすぐにも上洛して有岡攻めの総大将としていた
織田信忠に五万の軍勢を派遣した。
この人数の上にさらに多方面から援軍を配された荒木側大名たちは次々に
城を降伏開城していった。
そして一月が経つ。
「信長様、有岡の城をすべて包囲致しました」
そういいながら恭しく頭を下げたのは先日篭絡した高槻城の高山右近だった。
高山はキリシタン大名で、自分の領地の民を守るために信長へと寝返った。
その裏で奔走したのは万見仙千代だ。
万見は暗に高山へ近づき、その動向を諭して降伏を促した。
その労あって高山右近は有岡攻めに参加することになったのだ。
「そうか。三田、能勢・・・大和 田も落ちた。・・・・・・そろそろだな」
言いながら信長は諸国から集った自分の配下武将たちの顔を見やった。
皆一様に信長の声を待っている顔つきで腰を浮かせている。
信長は彼らの様子にさらに深く頷くと大きな声を出した。
「総攻撃の準備じゃ!有岡の荒木をわしの前へ引っ張り出せい!」
「はっ!」
その合図を待っていたかのように武将たちは鎧を着た体を勇猛に震わせながら走り出す。
せわしなくなった城内で長可もまた長槍を持って立ち上がった。
「では私めも行ってまいりまする」
長可が一礼するとそれに菊千代も続く。
菊千代はもう何度も合戦に参加し、その腕っぷしの強さを見せていていた。
「うむ、頼んだぞ」
信長も彼らに檄を飛ばす。
「恐れながら上様・・・」
そこへ、万見の声が割り込んだ。
万見はいつも検使として戦の見極めや参謀といった役割をこなしている。
今回の戦もまた、検使として参加していた。
「私も有岡へ攻め込ませていただきたく申しまする」
「・・・なんと?」
信長は自分の耳を疑ったかのように眉根を顰めた。
「仙千代ももうすぐ二十歳になりまする。日を改め、元服し上様配下の武将と
御なりましょう。されど私は合戦にでたことがござりませぬ。前田殿も小姓を勤めて
すぐに参戦なさっておられまする。どうか、仙千代にも一遇をくださりませ」
すべてを告げて万見は信長に向かい深々と頭を下げる。
一度立ち上がったものの成り行きを見守る菊千代と長可は信長と同じように眉を顰めた。
信長はしばらく黙ったままだったが、万見もまた黙ったまま頭を下げ続けているため、
根気負けしてしまう。
「・・・わかった。しかし無理はならぬぞ!」
「はっ、ありがたきお言葉。仙千代必ず武勇を上げてみせまする!」
言うが早いや万見はすぐさま合戦の用意に向かってしまった。
それを苦渋の表情で菊千代が追う。
「・・・・・よいのですか?上様」
「よいよい。いつまでも手の中の珠ではおられまい。あれはわしの宝じゃ。
やがて右腕にもなろう男よ」
残された信長と長可もまた、それぞれ合戦の準備へと戻った。


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