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森蘭丸異聞 - RANMARU MORI - 第三章
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早湯の信長にしては珍しく長い入浴に万見は確信を持った。 新しい単衣に帯を用意しながら新太郎と菊千代もただならぬ雰囲気を醸し出している。 「仙千代殿はくやしくござりませぬか?」 ふいに新太郎が口をついた。 「・・・何をだ?」 「あのような新参者に寵愛などと・・・」 「口が過ぎるぞ、新太郎。仮にも森家のご子息であらせられる」 万見に諭された新太郎はう、と小さく声を出して言葉を引っ込めた。 菊千代も何か言いたげではあったようだがあえて口には出さない賢いところをみせている。 「それで?新太郎殿はどうしたいのだ?女のように着飾って寵児になれれば満足か?」 万見は少しだけ大きな声で諭し出した。 戸外で他の小姓たちも耳をそばだてている様子がわかったからだ。 「私どもは小姓であって上様の臣下でもある。尻だけで立ち上がれる蛍大名に なるわけではない。才能がなければ堕ちていくだけだ。それともそなたは蘭丸殿に 立ち向かうだけの才がないというのか?」 新太郎はぐっとさらに喉を詰まらせた。 万見は言うなれば信長の秘書だった。 秘書はただ抱かれていればいいわけではない。 多種にわたっての才能がなければすぐに代わりのものが小姓頭を勤めることになる。 だから万見はあからさまな嫉妬を出せるほど自分に誇りがないわけではなかった。 「まぁ、様子見、ですな。蘭丸殿の器はまだ測りきれておりませぬ故」 ようやく菊千代が口を開く。 それに同調するように戸外の気配も消えた。 それから信長はことあるごとに蘭丸を召した。 蘭丸は知識豊富で奇想天外な、それでいて戦上手の信長を本当に尊敬するようになっていた。 信長も素直でいろいろなことをよく吸収していく蘭丸に物事を教えるのが楽しかったらしい。 知らず会話も増え、それは合戦の会議の内容にまで及んでいった。 「・・・もう我慢できませぬ!蘭丸殿へのご寵愛ぶり、甚だ目につきまする!」 ふと、小姓部屋で高丸が叫んだ。 蘭丸の部屋は別室のため聞こえてはいない。 褒美だと信長に与えられたのがその部屋だ。 多くの小姓はひとつの部屋に幾人かに分かれて過ごすものだが、風呂での会話で蘭丸が 答えなかったためこのような待遇になったらしい。 蘭丸は別に欲しいものがあるわけではなかったし、初めての性交で答える余裕が なかっただけなのだが。何度も異議を申し立てたが信長は聞き入れなかった。 「大事な戦議にまで口を出す小姓など・・・諸大名殿が許されぬと思うておりましたが・・・」 新太郎もそれに賛同するように万見へ迫った。 「上様が蘭丸殿に逆らうことは自分に逆らうも同じこと、と諭されてから言うに言えぬ 状況でございまする!」 「左様!されど、仙千代殿ならば上様に進言されることも出来るはず。どうか我らの願いを・・・!」 二人に迫られた万見はいささか閉口した様子で眉根を寄せた。 「私にもどうすることもできますまい。そんなことばかりを口にしている暇があるのならば、 上様の元へ扇子のひとつでも扇ぎに行ってはいかがかな。この暑い最中、気すら使えぬようでは 先が見えるというもの」 万見の見下したような視線に二人は黙り込でしまう。 それを受けて万見は自室へ戻るよう障子を開けた。 万見もまた、小姓頭として個室を与えられているのだ。 「・・・こんにちは、仙千代殿」 廊下の端から菊千代が声をかけてくる。 黙って視線だけを彼に向けながら万見は後ろ手に障子を閉めた。 「新太郎殿の怒号、隣部屋まで聞こえましたぞ」 「・・・それは悪いことをした」 「仙千代殿はお悔しくないのですかな?いつもあのように蘭丸殿の悪言を口走る輩を制して」 万見の動きに合わせるように菊千代もまた廊下を滑ってゆく。 「・・・・・悔しくないといえば嘘になろう。・・・なれど、私は蘭丸殿を嫌うことが なぜか出来ない。純粋に上様のことを思い、仕えようとしている同士に憧れはすれど 憎むことなど・・・」 ぱしんっと菊千代の持つ扇子が閉じられた。 それを機に二人の足が止まる。 中庭からは静かなししおどしの音だけが響いてきた。 「・・・・さすがは仙千代殿。そうおっしゃられると思っておりました」 そして菊千代が万見に向かって片手を差し出てくる。 「私も同じ意見ですよ。蘭丸殿に邪気はない。それに才も溢れている。それは同じ師に 学んだ私が一番知っていること故。世は戦国、小姓同士で言い争っている場合ではない」 万見は目を丸くした。 菊千代は小姓仲間では目立たないほうでいつも後ろにばかり控えていた。 寵愛争いなど微塵も興味がなさそうに見えて、実は人一倍信長のことを考え行動しているらしい。 万見は小さく頷いて差し出された手をがっちりと握りこんだ。 「・・・・私は近々、小姓頭を蘭丸殿に譲ろうと考えている。そのほうが上様にとっても いいだろう。あのお二人は・・・どこかわれわれの見えぬところで深く繋がっているように 思える。まるで最初から一幅の絵であるようにわかりあってあらせられる」 「しかし・・・そうは上手くいきますまい」 「・・・・新太郎のことか?」 二人は視線を交し合い、そして手を引いた。 「なにやら事を起こしそうな気がいたしまする」 「・・・そうだな、上様のご勘気に触れなければよいが・・・」 中庭の杉木を生ぬるい風が吹き抜ける。 二人の影もまた、そのさざめきに身じろいだ。 「誰ぞ!誰ぞおるか!」 信長の声が障子を超えて廊下に響いた。 それを耳に足早にかけつけてきたのは万見と蘭丸だ。 すでに蘭丸が信長に仕え始めてから二ヶ月が過ぎようとしている。 「万見仙千代にございまする」 「森蘭丸にございまする」 二人は名を口にするとするりと障子を開けて中を覗いた。 それくらいになってから、ようやく他の小姓たちも姿を現す。 暑さ厳しい夏日のため身体を動かすのも少々億劫になってしまうのだろう。 集まった面々に信長は自慢するように笑いかけた。 「一益が食べきれぬほどの桃を持ってきたぞ。初桃だ、皆で分けて食せよ」 蘭丸が視線を滝川の横へ流すと確かに三つのつづらがつまれていてそこから桃が 顔を出している。 滝川は蘭丸が来たばかりの五月にはさくらんぼをつづらいっぱいに持ってきたこともある。 剛毅な顔に似合わないその果実を気を使いながら運んできたかと思うと、蘭丸はつい口端を 緩めてしまった。 それを見ていた滝川はこいつめ、といった顔で片目を伏せて目配せしてくる。 滝川はたしかに体格のいい武将だったが、こういった茶目っ気がたっぷりあって蘭丸は 大好きであった。 前田利家も羽柴秀吉も徳川家康も明智光秀も柴田勝家も。 信長の重臣たちは蘭丸をよく世話してくれ、登城するときには土産まで持ってきてくれた。 それは万見にも同じで、彼らが小姓を大事にしてくれていることは一目瞭然であった。 それだけではなく蘭丸は戦議の時彼らがよく考え信長のために策を練っている姿を見ており、 なによりも皆才に溢れ蘭丸にとって彼らは憧れの武将たちでもある。 だから時折逢える姿が蘭丸は喜びであったし、彼らにとっても信長の寵を受けている だけではなしに、蘭丸のことを気に入っている様子であった。 「では上様、失礼して運ばせていただきまする」 万見がそう告げるといっせいに小姓たちがつづらを持ち上げ運び出す。 蘭丸もまたひとつのつづらを他の小姓とともに持ち上げようとした。 「・・・・!」 しかし、蘭丸は体勢を崩してあっという間につづらごと床へ突っ伏してしまう。 誰かが足をひっかけてころばせたのだ。 どたん、と大きな音をたててつづらが落ち、中から桃がばらばらと零れてしまった。 「蘭丸殿、なんてことを!滝川様からのくだされものを・・・!」 どこからか声が上がった。 蘭丸は悟ったように眉尻を上げ頬を怒りに紅く染めた。 誰かが策略したのだ。 信長の重臣である滝川の前で粗相をしたとなれば蘭丸とて罰せられずにはいられない。 常々から仲間の冷たい風当たりに我慢してきた蘭丸だったが、この卑怯な策には 怒髪天をついた。せっかく滝川がもってきたものを自分への嫌がらせに無駄にしたのだ。 悔しさに身の内が震えてくる。 そんな震える指先を見て、新太郎は満足そうに一人口元を笑ませた。 「・・・失礼つかまつりました!滝川殿、これは私めの管理不届き故、罰せられるは私を」 そう声を上げたのは万見だった。 万見もまた新太郎の画策だろうと気付き、怒りに身を焼いていたのだ。 転んだ蘭丸への管理不届きではなく、転ばせた新太郎への管理不届き。 万見は悔しさと怒りを堪えながら信長の前へ出て頭を下げた。 その様子を見て蘭丸も取って返したように膝をつき万見の前へと躍り出る。 「とんでもござりませぬ!転びましたは私の責任、上様、申し訳ございません」 二人が頭を下げた様子を見ていた滝川と信長は、肩を落として首を振った。 「誰も攻めておらん。どちらも表を上げい」 信長に続いて滝川も声をかける。 「左様、蘭丸殿の細腕ではこのつづら、ちと重すぎたようじゃ。私の従者に運ばせる故、 気にせずともよい。他の者たちもつづらを置いてよいぞ!」 そう言われてつづらを抱えていた小姓たちは手を引いた。 新太郎は苦渋を舐めた顔つきで柱際へ立っている。 「一益もこう言うておる。次から気をつければよいのだ」 信長はそう言って小姓たち全員を再び下げさせた。 「・・・よく我慢したな、蘭丸殿」 自室に戻った蘭丸に声をかけたのは万見だった。 扉近くの万見を見ると、蘭丸はくしゃりと情けない顔で頭を項垂れさせる。 「・・・・仙千代殿がおられなかったら、蘭丸は感情にまかせて相手を罵るところでした」 「・・・・・・・」 仙千代は蘭丸の近くまで歩いていくと、その肩を抱き寄せるように包み込んだ。 柔らかな温もりが蘭丸の張っていた気を溶かしてゆく。 知らず、蘭丸は泣いてしまっていた。 家族のもとから離れ森家のためにと一人頑張ってきていた全てが、悲しくなってしまったのだ。 「・・・・蘭丸殿は上様が好きか?」 「・・・・好きでございまする」 嗚咽の混じった声が万見の耳に届く。 万見は蘭丸を抱きしめたまま片手で後頭部を優しく撫でた。 「では、上様の御為なら我慢できたか?」 万見にこう尋ねられ、蘭丸は小さく頷いた。 どんなことでも信長のためになることならば自分はできる。 信長に一生仕えていくと決めた日から決心は変わらない。 「では、それをいつも胸に収めておくがよい。・・・・・仙千代も、同じ時代があった」 自らを仙千代と指して蘭丸に諭す。 その声音はどこまでも深く蘭丸の心に浸透していった。 |
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