冷たい唇が、佐渡里のそれを覆っていた。
重なり合った所から少しずつ唇の温度が上がっていく。
分ち合う温もりが心地良いと感じる。
姫嶋の想いが、触れ合った所から流れ込んでくるようだった。
瞠った視線の先、皇かな頬に光に反射した涙の痕…彼の想いに疑う余地などなかった。
しかし佐渡里は姫嶋の言った言葉をまだ理解し切れておらず、混乱していた。
細い肩をそっと掴み、ゆっくりと唇を引き離した。
自分の非を認めた潔さなのか、僅かに頬を引き攣らせてはいたが
姫嶋は清廉な笑みを浮かべていた。
「…全て、お前が仕組んだことだった、という事なんだな?」
落ち着きを取り戻した佐渡里は、淡々とした確認する口調で姫嶋に尋ねた。
「ああ。全て俺がやらせた。」
きっぱりと姫嶋は佐渡里から視線を反らさず応えた。
「…そうか。――分かった。」
餌を食べ終わった仔猫が足元に絡みつくのを見、佐渡里はそれをひょいと抱き上げ、
彼らに背を向けた。
「――行く、のか…?」
僅かに強張った声が、背中に語りかける。
「…少し、考えさせてくれ。」
それだけ言うと、佐渡里は己に与えられた部屋へと戻って行った。
背後で佐渡里を追おうとした田村を姫嶋が止めるのが聞こえたが、
佐渡里は振り返らなかった。
――とにかく、一人でゆっくりと考えたかった。
混乱しつつも姫嶋の想いは本当だったことは、彼の自分の名を呼ぶ声、
触れ合った唇から佐渡里にも伝わっていた。
しかし、何故会社まで首にし、病気だと偽ってまで…。
ベッドに腰をかけた佐渡里はクシャッと髪を掻き乱した。
“――好きなんだ。佐渡里・・・晃次、君のことを愛してるんだ――”
先ほどの姫嶋の言葉が耳に残っている。
同時に蘇る、激しいセックスの時に我を忘れて紡がれた言葉。
“あ、ああっ・・・!・・・好きだ、んっ・・・好き・・・”
“んああっ・・・あ、愛してる・・・こ、うじ・・・ぁ、アアァーーーーっ!”
何度も何度も身体を重ねながら綴られたあの愛の言葉は、彼の本心。
思わず溢れ出てしまった彼の気持ち…誰かに向けられたものではなく、
自分へ向けられた愛の告白だったのか。
「――クッ。…クククッ。」
渇いた笑いが口から零れる。
「―――なんて愚かな。いや、愚かなのは俺も同じ、か…。」
愛しているという男を陥れ、嘘を嘘で塗り固めるしか出来なかった男と、
彼の嘘を見抜けず、更に自分に向けられていた愛の言葉を受け取れず、
架空の相手に嫉妬していた愚かな自分。
一度は気付かぬ振りをし逃げようとまでした彼への愛しさが、一気に込上げるのを感じる。
手に入らぬ辛さに足掻き、捨てようとした想いが…。
「…ま、会社云々はまた後日問い詰めるとして、とりあえず病気も嘘だった訳だ。」
フッと小さく溜息を吐き出し、腿に乗り上がった仔猫の頭をグリッと撫でながら喉奥で
小さく笑った。
「馬鹿ダナ。ユキは…。」
ハハッと再び笑い、仔猫をベッドへ下ろし佐渡里はそこから腰を上げた。
扉を開き、向かいの部屋へと大きく歩みを進めた。
きっと姫嶋は部屋へ戻っているはずだ。
僅かに閉じた扉の音を佐渡里は感じていたのだった。
軽いノックの後、僅かに強張った姫嶋が現れた。
ドアの鴨居に腕を掛け、扉に大きな身体を割り込ませた佐渡里は、
姫嶋を見下ろし楽しげに話しかけた。
「ヨォ。…ちょっと入れてくんねぇ?」
室内を顎で指し、僅かに首を傾けた。
そんな佐渡里の様子に僅かに眉を顰めつつ小さく顎を引いた姫嶋は、
佐渡里を中へと導いた。
パタリと扉が背後で閉まるのを感じ、姫嶋が佐渡里に背を向けたまま大きく息を吸った。
己の心を守るように両腕で自分を抱きしめ、ゆっくりと言葉が紡がれる。
「…で?俺に罵声を浴びせに、ッ!…えっ?!」
姫嶋の言葉は最後まで綴られることはなく、彼の細い体躯は佐渡里の腕の中に
すっぽりと覆われていた。
背中から姫嶋の身体を抱きしめた佐渡里は僅かに震えていた彼の指先を感じ、
その腕に力を込めた。
「――さわたッ…!」
訝しげに佐渡里を振り向こうとした姫嶋の唇を、己の唇で塞ぐ。
片手で彼の頬を押さえ有無言わさぬよう、逃げ惑う舌を捕らえる。
一瞬の抵抗の後、大きく瞠られていた瞳がゆっくりと細められ自ら進んで
舌を絡ませてくる。
細く柔らかい姫嶋の髪に指を絡ませ佐渡里は角度を変えつつ充分に姫嶋の口腔を蹂躪し、
名残惜しげに絡み付く舌をそっと押し返した。
湿った音と共に緩やかに離れた唇に、透明の糸がゆらりと引かれた。
佐渡里は姫嶋を抱きしめたまま
「俺ら本当に、馬鹿だよなァ。お互いの想いに気付かなかったんだからな。
お前が病気じゃなくて、良かったヨ。」
ククッと喉奥で笑い佐渡里は呆然とする姫嶋の額の髪を軽く指で払うと、
チュッと音を立てそこにキスを落とした。
――完敗だぜ、姫嶋。お前にしてやられたぜ。
耳朶に唇を寄せ低く囁き佐渡里は、呆れたように肩を竦めた。
とっくの昔に心は奪われていた、知らぬ間に。
ただそれを「恋」には結び付けたくなくて、無意識に逃げていた。
恋だと、痛いほど思い知った時には既に遅く
心深く彼が沁み込んでいた。
どんなに汚い嘘を吐かれたとしても
どんなに酷く陥れられたとしても
もう彼には完敗だ。
彼が彼である限り
自分は彼を愛しく想う。
例えそれが
仮初めの姿であったとしても
自分は彼を愛するであろう。
さァ 彼に白旗を揚げよう。
愚か者には
お似合いの恋だろう?
「恋人に昇格させてくれヨナ。お前の“ビョーキ”が治るまで。」
楽しげに姫嶋の耳元に囁くと、小さくウィンクをした。
――ま、治られても困るケドな。
心の中で呟きながら片口角をニヤリと上げた佐渡里は、目元が僅かに緩むのを
隠すことはできなかった。
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