絶対無敵に恋人志願


Vol.10 Hypocrisy


レースのカーテン越しに薄く射し込む午後の斜光…。
吸い込まれるかのように窓辺に近づいた佐渡里は、その薄く上質な生地掴み開いた。
穏やかな日差しに雲一つない青く高い空…。
それは今まで仕事に忙殺された日常を送っていた佐渡里に、欠けていた何かを
思い出させた。
どこか懐かしく穏やかな日常のあった事を…。
窓を開くと、肌を突き刺すような寒さが覆うが、その風の冷たさが
佐渡里の熱を奪っていった。
風に乱れる髪を軽く手で押さえつつ窓枠にそっと凭れた佐渡里は、
今朝田村に言われたことを反芻させていた。
“―――病気、ねェ…。”
昨夜の寝乱れた姫嶋と今朝の彼の反応を思い浮かべ、小さく唸った。
確かに彼は何も覚えていない様子だった。
通院中だとも言っていた…。
まぁ確かに一般的に言われている夢遊病とは少し違うらしいというのは、
佐渡里の実体験の元、実感してはいた。
あんなに意識、感覚のしっかりした夢中遊行症者はいないであろう。
酒や薬に溺れたような…と言うか、人格が入れ替わってしまったかのようだった。
一種の多重人格なのだろうかと佐渡里は思い、彼を不憫に思った。

それほどまで彼を追い詰めるものは何なのだろうか?
資産家である彼の生い立ちは、幼い頃から彼のことを抑圧していたのだろうか?
それとも心の奥底に、誰にも言えぬ深い傷でもあるのだろうか?

彼の心の奥に触れたい、そう思いつつも、佐渡里のある懸念がそれを留まらせる。
―通院中という事は、今までにも昨夜のようなな事があったのかもしれない―
そう思う思考をどうしても拭い去ることが出来ず、それは彼への憐憫をも上回り、
佐渡里をドス黒く醜い感情の波へと深く呑み込んで行くのだった。
昨夜自分の肉棒に穿たれ狂喜していた彼の白い身体が、自分以外の肉棒をも
嬉々として咥え込み狂ったように腰を振り乱す…そんな様が思い浮かぶ。
そんな己に嫌悪し佐渡里は、大きく深い呼吸を繰り返す。
自分の感情とは無縁に行動してしまう病気の彼に、何故こんな感情を
抱いてしまうのか佐渡里にはまだ判断できなかった。
ただ喉に引っ掛かった小骨のように何時までも抜けぬ苦い感情を
抑えるのが精一杯であった。
そんな彼の思考を破る無機質な電子音が突然鳴り響いた。
ハッと視線を室内へと戻した佐渡里は、緩慢な動作で鳴っていた己の携帯を
掴み通話ボタンを押した。
「…はい。佐渡里です。――あァ。どうも。ご無沙汰しています。」
相手は大学のゼミの先輩だった。
彼からは以前から引き抜きの声を掛けられていた。
耳聡い彼は何処からか佐渡里が会社を辞めたことを聞きつけ、再就職に自分の
会社はどうかと電話を掛けてきたのだ。
これは渡りに船だと佐渡里は、快くその話を承諾した。
「…はい。それじゃ明日お話聞かせていただきに参ります。分かりました。
それでは失礼します。」
ピッという電子音が静寂に響き渡る。
佐渡里は、小さく息を吐き出し手帳に予定を書き足した。
冷えた髪をクシャッと掻き上げ、精一杯ポジティブな思考に切り替えた。
就職も決まるかもしれないし、昔の借り(もちろん姫嶋は借りだとは
思っていないだろうが)を返すように、自分に出来ることがあれば何でもし、
彼の中の何かを解放する手助けが出来たら…と佐渡里は考えるようにした。
重く苦い思いを閉ざす様、冷たい風吹き込む窓を閉ざした。
パタンと窓を閉めたと同時に部屋の扉がノックされ、姫嶋の賄いさんだという
もえさんが珈琲を持ってきてくれた。
馨しい珈琲の香りを深く吸い込み佐渡里は、今決心したことを心でゆっくり反芻する。
己に言い聞かすように…。
こんな独りよがりは、偽善だと分かっている。
汚い感情を隠し善人の面を貼り付け、あいつの為だと言い張る自分は
とんでもない偽善者だ。
それでも佐渡里は、そんな偽善者の仮面を脱ぐつもりはなかった。
美味しいはずの珈琲が今の佐渡里には苦く、その苦味は身体深くにも浸透し、
いつまでも佐渡里の喉奥に残り消えることはなかった。




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