夕暮れも色濃く迫った時間帯。
十五階建てのマンションの一室に竜哉は足を踏み入れた。
今日はバイトの支払いがあるので学校帰りに事務所へ足を運んだのだ。
まだ高校生である榎木竜哉には、この臨時収入は貴重で大変ありがたいものだ。
「チィーッス」
RCセクションと書かれたプラカードが下がるドアを開き、中にいるスタッフに
声をかけながら奥へと進む。
プラスティックのボードで区切られた一角は契約や支払いをするための応接室になっており、
今日はここで直接手渡しでバイト代を貰う手はずになっていた。
革張りの柔らかなソファが目に入ってくると、そこにはすでに先客がいることがわかった。
「よ、あやか。そっちも支払い?」
あやかと呼ばれたその先客は大学生くらいの綺麗な男で、竜哉とは現場や事務所で何度か
顔を合わせている。
竜哉は肩に担いだリュックをソファの脇に置くとそのまま緩慢な動作で
あやかの隣に腰を下ろした。
「そうだよ。君もそうみたいだね・・・あ、坂崎さん。こんにちは」
心地よいテノールの声が応接室に差し掛かった影に声をかける。
それにつられて竜哉も顔を上げ目礼すると髭面のお世辞にも清潔とは言いがたい
中年男がにっと笑い返した。
「ほれ給料だ。受領書にちゃんとハンコ押せよ」
ばさばさっと厚みのある茶封筒が二人の前に放り出され、ついで薄い紙で出来た
受領書がそれぞれに手渡される。
竜哉とあやかはそれに印鑑を押し封筒の中身を確認し始めた。
「にじゅうはち、にじゅうく・・・さんじゅう!確かに三十万頂きやしたー」
茶封筒を挟むように両手をぱんっと顔の前で合わせてお辞儀する。
竜哉のその様子にあやかも坂崎も思わず笑いながら目を細めた。
「相変わらずだね。でも・・・高校生なのにAV出て平気?」
あやかが自分の分の金額を確かめたらしく袋を無造作にポケットへ
押し込めながら尋ねてくる。
竜哉はその問にけろっとした表情で頷きを返した。
「ぜんぜん余裕。親も友達もホモAVなんて見ないしさ」
この答えに目前の二人は噴出しながら確かに、と納得してくれる。
そう、竜哉はホモAVのアルバイトをしていた。
中学生の頃から自分の性癖を自覚した竜哉が相手探しに街をふらついていたところを
坂崎にスカウトされたのだ。
好きな人も恋人もいなかった竜哉は性欲処理もできて大金が入るそのバイトに
一も二もなく飛びついた。
現役高校生なんて希少価値を持っているせいかそれなりの値段をつけてもらえるし、
相手によっては最高のエクスタシーを感じることができる。
オナニー一回三万、バイブを使って後ろでイって見せたら五万に出演料は跳ね上がった。
竜哉はタチもネコもできたためそれなりの数をこなせたし一ヶ月の労働の賃金が
三十万というものだった。
一回一回即払いもしてもらえて、いちいち事務所に寄るのが面倒なときは今のように
まとめてもらうこともできる。
毎晩相手を違えてセックスしてた竜哉をAVにスカウトしてくれた坂崎は信用していたし、
竜哉には居心地のいい場所だったのだ。
「っていうかさ、俺よりあやかのがAVでてるの謎なんだけど」
ふと、思いついたように竜哉の口から疑問が突き出る。
「なんで?」
そう告げながらあやかの整った顔は微妙に苦笑を浮かべた。
彼もまたAV男優の一人であり、RCセクションでは人気ナンバーワンを誇っている。
一時期は刃傷沙汰にまで発展したこともあるらしい。
「だって最近彼氏できたんだろ?普通AV辞めない?」
「えっ・・・う、ん。まぁ、そうなんだけどね・・・」
竜哉の質問にあやかは言葉を濁した。
そしてそれ以上は答えないという表情で竜哉から視線を外してしまった。
「まぁ本人がいいならいいんだけどサ。俺と同じ高校生だっけか?」
彼の態度に竜哉も話題をそらした。
これ以上突っ込んでも自分に利益はないし、そこまでして聞きたい話でもなかったからだ。
「そう、高校生・・・三年になるからしばらくは忙しくて会えなくなるかも
しれないんだけど」
幸せだよ、と顔が言っている。
瞬間的に竜哉はやばいと思った。
あやかの彼氏の話題をふると何時間でも延々と惚気話を聞かされそうになるからだ。
二人が付き合い始めたばかりだといっても、惚気るにもほどがある。
これは坂崎を犠牲にして自分はとっとととんずらしてしまおうと竜哉は画策した。
「あーー!じゃあ、俺次の約束あるからさ!またな、あやか。坂崎さん」
あわただしくリュックを手に取ると竜哉の腰がソファから離れる。
そして逃げ出すように元来た道を遡って玄関へ向かうと、またね、というあやかの
優しい声と坂崎の待てよ、と静止する声が背に響いた。
恵比寿にあるオフィスを出ると竜哉は山手線に乗り込んだ。
せっかく給料が手に入ったのだ、渋谷あたりで買い物でもして帰ろうと
考えるのは妥当だった。
しかしこの選択が竜哉にとってよかったのか悪かったのかは、今はまだ結論がでない。
竜哉は電車の振動に揺られながらドアに映る自分の前髪を指先で摘んだ。
生意気そうな少し釣り目の茶瞳に、下唇がやや大きい厚めの柔らかな唇。
髪は薄く脱色した茶髪で真中分けのストレート、耳にかかる程度の
けして長くはない髪型だ。
どこにでもいそうな高校生の風貌だがスタイルは他と一線を引いていた。
ウエストの位置は高くお尻が小さくキュッと締まっている。
細めだがやわな感じではなくそれなりの力を期待できるバランスのいい体躯だった。
竜哉が前髪を弄んでいると、電車は間もなく渋谷へ到着した。
濃紺のブレザーの下にYシャツをだらしなく着込み、青と黒のチェックの
ズボンを履いた竜哉は、リュックを背負ったまま大きく伸びをして自動改札を抜ける。
「・・・っし、タワーレコードでも行くかぁ・・・新譜でてるかな」
彼の最近のお気に入りはBLUEという外国人アーティストグループだ。
四人組の一人が竜哉の好みにはまっていたのが理由で、曲を聞いてみるとこれまた
好みだったためまめにチェックするようになった。
「ケータイで検索かけてみっか」
そう言いながらポケットの二つ折り携帯電話を手にとる。
画面とにらめっこしたまま、竜哉の足がJRの通路から外に出ようとしたその時、
脇から突如現れたでかい物体に竜哉の頭がぶつかった。
「・・・ぅわっ」
跳ね返されるようにふらついた竜哉が思わず声を上げる。
反動で顎が反り返り、上を向いた視線がぶつかった物体・・・相手の顔を捉えた。
上着を着ていてもわかる鍛えられた筋肉質なガタイ、少し伸びかけた髪は前髪だけ
ワックスで固めてある。
自分よりも随分背の高い、目つきの鋭いその相手に竜哉は胸のうちで苦味を潰した。
「ス、スンマセン」
携帯をわき見していた自分が悪いのと、喧嘩しても勝てそうにない相手と、
ダブルの状況悪さに竜哉が素直に詫びを入れる。
しかし相手はそれでは気分がおさまらないのかじっと竜哉の顔を見つめたまま
動こうとはしない。
これは触らぬ神にたたり無しってやつだと憶測した竜哉が、逃げの体制に入る。
「・・・・・あ、待てよ」
風貌に違えることなく重低音な声で男がそう言うと竜哉の腕をがっと掴んで通路の
端っこへと引きずっていく。
ヤバイ。
これは相当ヤバイ。
しかも今日は大金を所持しているため、これをせびられるのは全くもって手痛い事だった。
「ちょっ・・・謝ったじゃんか、離せって・・・」
片手を相手の肩にかけて捕まれた腕を離そうともがく。
しかしそんなことではビクともしない男が竜哉を自分と壁の間にはさんで
そっと耳打ちしてきた。
「お前さ、AVでてる奴だろ?ホモの・・・なんてったっけ?「ボクの課外授業」
だっけか?タイトル」
「はぁ!?」
思わず頭の先から出たような声で叫ぶと、男は慌てて竜哉の口を片手でふさいだ。
「静かにしろって。別に取って食うわけじゃねぇんだから」
バツが悪そうにぼそぼそと告げられても、今の竜哉に届くはずがない。
頭の中は無限大の疑問符でいっぱいだった。
カツアゲするんじゃないのか?
なのになんで俺のでてるAVの話なんか出てくるんだ?
っていうかこいつそれを見てたってことか?
そんな言葉が交互にぐるぐると駆け巡っている。
ご丁寧にタイトルまで告げられ、竜哉は予想していなかった突発的な出来事に
瞬きすら忘れてしまったようだった。
「アレ、好きだったんだよな。お前のイクゥ〜って叫ぶ顔がなんとも色っぽくて・・・」
通路端とはいえ人通りの多い渋谷でなんてことを口走るんだと竜哉は
眉根を寄せる。
「あ、俺は蜷川ってんだけどよ。お前のAVのファンってやつ?しっかし
偶然ってのはすごいな。あっ、そうだ、せっかくだからテル番とか教えてくれよ」
こちらの都合などお構いなしにしゃべり続ける、外見の怖さと反比例して思い切り
軽そうな性格の男を睨みつけたまま、まだ口を塞ぐ男の手を振り払うようにどかして
竜哉の足が思いっきり脛を蹴り上げてやった。
「イテっ!」
思わず足をかばった相手との間にわずかな距離ができるとそれを見逃さず身体を
捻りながら腕の檻から逃げ出す。
「バカだろ、アンタ。これ以上すんなら警察突き出すぜ?」
脅しの意味をこめてそう吐き捨て、竜哉は一目散に人込みをぬって走り出した。
まさか街角でこんなことが起こるとは思ってもみなかった。
今までAVに出ていても自分自身にとっては無害も同然だったからだ。
竜哉の視線が後ろを振り向く。
男が追いかけてこないことを確認すると、荒く立った息を落ち着かせながら
東横線への改札口をくぐった。
ベルが鳴り響き発射寸前の電車に飛び乗ると、竜哉は小さく安堵した。
「話には聞いたことがあったけど・・・」
そう、話には聞いたことがあった。
AVに出ているという事実がわかると、それを知った相手はたいてい関係を
強要してくると。
セックスを売り物にするくらいなんだから誰とヤってもかわりないんだろ、
なんてふざけた理論を振りかざして。
多分今の奴も竜哉がホモAVに出ているのに気づいて、簡単にヤラせてくれると
勘違いして近づいてきたに違いない。
傍目から見ても大きいといえるくらいの盛大な溜息をついて、竜哉はドアに寄りかかった。
初めてAVをやっていて後悔した。
あんなバカが近づいてくるのは重々承知していたはずなのに。
それでも何をされるのかわからない恐怖と世間にばれることへの恐怖が確かに
竜哉の中に混在した。
「バカは俺か・・・」
あやかがストーカーに刺されそうになったって話を聞いたときも大丈夫か?
なんて他人事に心配そうな顔をして。
AVやってても俺には実害ないし、たとえばれてもだから?って笑ってやるよなんて。
タカをくくっていた自分に小さな苦笑が浮かんだ。
開き直っているようでその実一番臆病に世間の様子をうかがっているのは竜哉だった。
その虚勢を真っ向から崩された気がして、慌てて逃げ出した。
「しかも・・・ガキじゃん」
柔らかな前髪をくしゃくしゃっと片手で混ぜ込んで、竜哉は目を伏せた。
次の日の授業なんかぜんぜん身に入らなかった。
恐怖の後からあの男への憤りが沸きあがってきたのだ。
確かに反省すべき点はいろいろあった。
けれども元はといえばあの男がべらべらとわけのわからないことを
言ってきたから焦ったのだ。
竜哉は手にしていたシャープペンシルの芯を力を込めてぺきっと折った。
どうにかしてあの男に一矢報いてやりたい。
でももう二度と会うのは出来ればごめんこうむりたい。
そんな葛藤を一日していてイライラは頂点に達していた。
「・・・竜哉ぁ?もう授業終わったぞ?飯くわねぇの?」
そこへ、クラスメートで一番仲のいい田宮陸登が声をかけてきた。
手に弁当箱をぶらさげて首をかしげる姿はかわいいとしか形容できない。
「食うけどさ・・・」
シャーペンを机の中へと突っ込むと、竜哉はリュックからパンを取り出した。
「なにイライラしてんの?俺、なんか出来ることあるか?」
心配そうに声音を落として陸登が竜哉へ告げる。
陸登はこの男子校では珍しいムサくない男で、なんでも素直に信じ込んでしまう
素直な性格と無邪気な笑顔のビームがまぶしい明るさが竜哉のお気に入りだった。
陸登とは何でも話したし一年の時から一緒にいるから変な気兼ねもしなくていい。
容姿に似合わず気骨もあるから信用もできた。
「いや・・・昨日渋谷でさ」
だから竜哉がそう切り出して昨日のいきさつを説明するのになんの躊躇もなかった。
話を聞いてもらえるだけでも人間、すっきりするものである。
AVとかには縁のなさそうな陸登は少しだけ頬を赤らめて話を聞いていたが、
途中で携帯にメールが入って会話は中断された。
「うっ、ごめん竜哉・・・。俺、これから英語科準備室に行かなきゃ」
携帯の液晶に浮かぶ「すぐにおいで」という言葉に竜哉の目が細まる。
そう、竜哉が苛立つことを増徴させる理由がそこにあったのだ。
竜哉の一番仲がいい友達、親友とも呼べる陸登は英語教師とデキていた。
そのためこうやって昼の時間ですら奴に邪魔される事も少なくないのだ。
別に誰と誰が付き合っていようと関係ないが、親友を横取りされるのは面白くない。
「りくとぉー、準備室いって何すんだ?ん?エッチなことか?」
少しばかり意地悪してやろうと、竜哉がにやにやしながら告げる。
そんなことを言われた陸登は耳まで真っ赤にしてからあげの突き刺さる箸を握り締めた。
「ば、ばかっ!そんなこと・・・」
このスレてない陸登をあの英語教師がどんなエロテクで攻めてるかと思うと、
竜哉の股間がざわめいた。
攻めモードの竜哉にとって陸登はわりと好みなのだ。
まぁ親友に手を出すほど困っていないので今のところ二人の間に肉体関係はない。
「隙ありっ」
竜哉が叫びながら陸登の箸の先にあるからあげにかぶりついた。
あっ、と小さく声をあげた陸登だが、最早後の祭りだった。
「俺からあげ好きなの知ってて食ったなぁ!?」
陸登が他のおかずを取られないようにと弁当の蓋を閉めながら睨んでくる。
こんな様子もかわいいんだと、本人にいったら怒られるのは必須なので心にとめておくが。
「ほら、早く行った行った。遅れるとお仕置きされちゃうかもなぁ?」
陸登を苛めて少しすっきりした竜哉が手をしっしっと払う仕草を見せる。
お仕置きというキーワードにまたもや顔を赤くしながら陸登は促されるままに弁当片手で
教室を出て行った。
「あー・・・めんどくせぇ。午後の授業はフケっかなぁ」
一人残された竜哉は、まだ微妙にもやもやする胸に不機嫌な表情を浮かべて小さく呟いた。
午後1時過ぎの新宿は人込みこそ多くないにしろ、平日のオフィス街といった
風情を際立たせている。
ブレザーの制服を着たままぶらつくことにした竜哉は補導されないように周囲に
目を配りながらコンビニでスナック菓子を買って駅から少し離れた公園へと足を進めた。
この公園は意外に穴場で、補導員はメインストリートのゲーセンなどに多く
配置されているため、ここにはあまりやってこない。
それを知っている学生はサボった後の時間潰しによく使っていた。
周りを見ると今日はそれほど人がいない。
営業サラリーマンが二人と、老人が一人。
自分を含めれば四人しか公園内に人影はなかった。
「そうだ、メールいれておくか」
昼に消えた陸登を置いて授業をサボってしまったため、心配しているかもしれない
親友にサボりの連絡をいれておく。
竜哉は妙なところで律儀なところがあった。
メールの送信ボタンを押してコンビニの袋からパックのコーヒーを取り出す。
それを軽く振ると日当たりのいい場所に人の頭の影が差した。
「・・・・・」
竜哉が訝しげに視線を上げると、そこには先ほど確認した営業サラリーマンの
うちの一人の影だった。
「サボりかい?」
こういったシチュエーションは竜哉にとってさほど珍しいことではなかった。
援交目当てのオヤジを何人も見てきたからだ。
どうも竜哉はそういったオーラがでているのか、声をかけられる回数は人より多かった。
陸登なんて一度もそんな誘いをかけられたことがないと言っていたし、多分青春、
清楚というより淫靡な感じを竜哉が醸し出ししまっているのだろう。
あえて問には答えずパックからストローを外す動作に戻る。
するとサラリーマンは図々しくもベンチの横に腰を下ろした。
「パックのコーヒーなんて味気ないだろう?ホテルのコーヒーをご馳走するよ」
竜哉はわき目で相手の顔を確認した。
どちらかというとエリートっぽい顔立ちの痩せ型な男だった。
陸登を苛めたおかげで少し気分が回復してきていた竜哉は、空を仰いで少し考えると
伸ばしたストローの先をぴっとサラリーマンの顔に向けた。
「俺に目をつけるなんて見る目あるじゃん。高いぜ?いいの?」
援交しなくたって金はあるけれど。
イライラするのはヌイてないせいかもしれない、竜哉はそう思ったのだ。
だからといって安売りするつもりはないのできちんと精算させて頂くが。
金の折り合いがついた二人は新宿駅をはさんで公園の反対側にある
高級ホテルへと歩き出した。
考えようによっては得したかもしれない。
竜哉はこういったエリートサラリーマンっぽい男に弱いのだ。
着込んだスーツが大人の男の証のようで、どこか情欲をソソってくる。
まぁ本当にエリートだったら営業途中でサボって男とホテルに
しけこむなんてないだろうが。
昨日ぶつかったあの男、平日だというのにダサい私服でふらふらしていた
あの男とヤるよりはマシ、と竜哉は頭の中でぼやいた。
「なぁ、なんで縛るの?」
自分の置かれた状況に焦りを隠せず竜哉が告げた。
高層ビルのホテルの一室で、竜哉は裸のままベッドの支柱にくくりつけられている。
簡易に作られたタオルの縛めは痛くはないががっちりと堅結びされていて両腕を
捻っても取れそうにはない。
「俺は君みたいな高飛車な奴が泣きながら懇願してくるのが好きなんだ。
薬使って、焦らして、突っ込んでくださいって言わせるのがな」
いやらしい笑みを口元に浮かべながら、スーツの上着を脱いだ男が笑う。
シャワーを浴びて出てきたところをベッドに引きずり倒され、
手際よく拘束されてしまった。
このところの不運に天中殺でも来てるのかと竜哉は力ない笑いを返す。
「さぁ、淫らな遊びをしよう。何もしないでも乳首が勃ってくるような
クリームを用意したよ」
サドらしい男は竜哉の片足首を掴んで無遠慮に秘部を灯りの下へ晒した。
媚薬入りのクリームなんてAVですら使ったことがない。
底冷えするような心地悪さに竜哉は思わず男から逃げようとした。
「いけない子だ・・・でもそう簡単に逃げられないよ。・・・ほら、指が入った」
「・・・ヒィっ!」
片足がベッドの脇に触れたと思った途端、横向きの姿勢でいる竜哉の蕾にジェル状の
クリームがぴたりとくっつき、優しさの欠片もない動作で無骨な指が挿入された。
妙な緊張が入った体はその指の侵入を拒み鈍い痛みを訴えている。
しかし男は竜哉の悲鳴に欲情したような表情で二本目の指とぬるぬるするクリームを
さらに突っ込んできた。
関節の途中でぎっちりと先に行くことを阻まれ、身動きが取れなくなると男は
舌打ちしながら竜哉の足を無理やり開かせる。
精液とは違う湿った感触が内壁を行き来する事に、竜哉は身震いを起こした。
「や、めろっ・・・」
切れ切れにそう制止の言葉をかけるしかなかった。
「やめろ?・・・イイんだろ、感じるんだろ?早くおちんちんしゃぶらせてくださいって、
ボクのアナルをぐちゃぐちゃにしてくださいって・・・言えよ!
オラ、淫乱に誘ってみろよ!」
男は理性が切れているようだった。
まるで竜哉はストレスを解消するためだけの道具としてしか見てないように、
秘部を貫く指が上下に往復してゆく。
快感など微塵も感じられない。
あるのはただ嫌悪感だけだった。
「絶対、いわねぇ・・・!」
プライドがそう反論させた。
男を煽る結果になるのは明らかだったが、竜哉にも引けない気持ちがあるのだ。
「すぐに言うようになるさ。ケツ振って挿れてぇ、って・・・女みたいに喘ぎまくって
家畜みたいに従順に俺のゆうことだけを聞くんだ」
はぁはぁ、と男の荒ぐ息が背を掠める。
内部にクリームを塗りたくると、男は薬が効いてくるのを待つためか
ベッドから立ち上がった。
手についた分を洗い流してくると言い残して彼の背が洗面所に消える。
「・・・ぅ・・・」
ぞわぞわとした悪寒を全身に感じながら竜哉は逃げ道を考えた。
とりあえずはこの手の縛めを解かなければどうにもならない。
支柱を揺らすように力いっぱいぐっと引っ張ってみたがタオルの先が揺れただけで
あまり効果はないようだった。
それでも何度かやっているうちに解けるのではないかと繰り返し衝撃を与えてみる。
「・・・っくしょう・・・」
思わず悪態が口をついた。
寝そべった体制でもがいたせいか肌からじんわりと汗が滲んできている。
しかも身体が温まったせいで蕾に塗り込められたクリームが溶けてだんだんと効力を
発揮してきたようだった。
股間がずきんと血液の凝縮する痛みを発している。
あの男の思い通りになると思うと悔しくてたまらない。
ドンドンっ!
そこへ、ドアを思い切り叩くような音が聞こえた。
洗面所にいた男が慌てたように飛び出してくる。
もしかして自分がもがいた音がうるさくて隣の部屋の人が文句を
つけにきたのかもしれない、と竜哉は考えた。
男がドアを少しだけ開いて相手を確認しようとした隙をついて、助けて、と
声を出そうとした矢先。
ドア越しの人物の声に言葉は飲み込まれた。
「火事だ!早く逃げろ!」
それだけ告げると声の主は次の部屋へ走り出したようだった。
「なっ・・・か、火事!?」
竜哉を拘束した男は一瞬たじろぐと、廊下の喧騒と僅かににおってくるキナ臭さに
慌ててスーツの上着を取りに戻ってきた。
ベッドの上の裸の竜哉には目もくれず所持品だけを確保して再びドアのほうへと踵を返す。
竜哉はその背に焦った声をぶつけた。
「おい、これ解けよ!逃げれねぇよ、解けよ!」
ありったけの怒声だったが、男は突如降りかかった災難に動揺したのかそのまま
ドアから出て行ってしまった。
竜哉の顔は怒りと困惑で真っ赤に染まった。
自分から誘っておいて、自分から縛っておいて、
そのままにしておくなんてどういう神経だ。
そう悪態をついてやりたいが憎むべき男の姿はもうない。
あるのは裸のまま身動きの取れない命の危険に晒された自分だけだ。
「マジかよ・・・なぁ、誰か!いないのかよ、気づけよ!」
声の限りドアに向かって叫んでみる。
しかし思ったよりも現場は混乱しているのかばたばたと走る音が聞こえてくるだけで
返事をしてくれる人はいない。
もう一度タオルを外そうと暴れてみたが状況は変わらなかった。
「・・・ッ」
白い煙が小さくドアの隙間から入ってくるのが傍目に見える。
それほど高い階にある部屋ではないので、逃げ出そうとすればすぐに避難できただろう。
でも今はそれを許さない現状だった。
暴れれば暴れるほど煙を小さく吸い込んだ。
しかもこの非常時だというのに、竜哉の肉棒は堅く屹立している。
男に塗り込まれたクリームの効果だった。
「やっべぇ・・・誰か・・・、助け・・・ッげほっ、が・・・はぁ・・・」
叫ぼうとしても煙にやられた喉は上手く声を発することができなくなっている。
腰は感じてしまって自由に動かせない。
絶体絶命だった。
そうこうしているうちに消防車らしきサイレンの音が何台も続けてやってきた。
もう廊下を走る足音は聞こえない。
竜哉の目の端に涙がじんわりと浮かんできた。
死ぬのかな、燃えちゃえば自分が裸だろうがなんだろうが関係ないだろうな、
そう思うと余計に苦しくなった。
最後の最後に勃起してるなんて、皮肉で笑うことすら出来ない。
竜哉は半ば諦めたようにじっとしたままベッドに四肢を放り出していた。
助からないのなら足掻く必要なんて何もない。
悔しいけれど、自分にはもう手の打ちようがないのだ。
そう、意識がうつろいかけたときだった。
隣のベランダがばぁんっと火を噴いて爆発したのだ。
「・・・・っ!!!」
心臓をそのまま鷲づかみにされた思いだった。
火が見えていないことだけが心の頼りだったのに、隣のベランダが爆発で吹っ飛んだのだ。
炎の勢いは明らかに自分のすぐ目の前まで来ていた。
そう自覚すると恐怖で顔が引きつった。
「う、うわああぁああーーー!」
ただむちゃくちゃに叫んでいた。
怖かった。
死ぬとか生きるとか思う余裕なんてなかった。
ただ恐怖から逃れたい一心だった。
「あああああぁぁぁあーーーー!!」
叫んでいる途中で、煙が肺に入り込んで咳き込んでしまう。
眩暈もしたがそれでも夢中でタオルを解こうと竜哉は暴れた。
助けて。
誰か助けて。
頭にあるのはその言葉だけだった。
「誰かいるのか!?」
そう声が響いて扉が開くと煙はいっきに部屋を埋め尽くした。
そのせいでより一層激しく呼吸を汚され咽こむ。
白い煙が視界を奪う中、ふいにオレンジの物体が浮かびあがってきた。
ああ、とうとう炎がきたんだな、と竜哉は思った。
「おい、意識はあるか!?呼吸を止めるな、マスクをつけてやったから
自分で息を吸うんだ!」
身体を揺すぶられて竜哉がはっとする。
炎ではない、人間の姿が目の前にあった。
そのマスクの下の力強い視線を見て、わっと広がった安堵感。
竜哉はそのまま意識を手放した。
それから竜哉が目を覚ますまでには、実に39時間の時間を要した。
煙を吸いすぎたことによる多少の呼吸困難があったものの、命に別状はなく
後遺症も心配はなかった。
火事はあれからすぐに鎮火したらしく助けに来たレスキューの人がカバンも
一緒に救出してくれたため、身元がすぐに分かって家族に連絡を取ることができたらしい。
家族は無事に帰ってきてくれたことを喜んでくれ、なぜあんなところにいたのかは
不問にしてくれた。
それにはレスキューの人の口添えもあったらしい。
本人もまだショックで困惑しているだろうから、刺激を与えるような
ことはしないでくれと。
学校をサボって男と援助交際しかけてました、なんて親に言ったら卒倒ものだ。
これには有り難いと竜哉も感謝した。
「・・・はぁ」
検査の結果、別状がなければ明後日には退院できると看護婦さんから聞いている。
この入院には保険が利くのかなぁ、と嫌に現実的なことを考えていると看護婦さんから
声をかけられた。
「貴方を助けてくれたレスキューの人がお見舞いに来てくれてるわよ、
お礼言っておきなさいね?」
個室の扉を開いたままそう告げると、看護婦さんの変わりに体躯のいい人物が現れた。
竜哉はバツが悪そうに床を見つめたまま頭をこくんと下げた。
「あー・・・えと、助けてもらって有難うございました」
多分この人物はあの状況下で自分が勃起していたことに気づいている。
どんな趣味の人間なのかと思われているか、急に不安に思って動きが
ギクシャクしてしまった。
けれど弁解するのもちょっとおかしい気がする。
薬もられてしかも男に逃げられてしまいましたー・・・なんて、誰が信じると
いうのだろう。
相手はドアを閉めてベッドのほうへと歩み寄ってきた。
「なんだ、けっこう元気そうだな」
どこかで聞き及んだことのある声。
竜哉ははじけたように顔を上げて相手を確認した。
「あ・・・あんたっ・・・!」
そしてその面を認識すると唖然として口を無様に開いたまま凍りついてしまう。
「見忘れたか?渋谷のナイスガイ、蜷川っちだぞ」
似合わない花束なぞ持って立っているが、彼は過日渋谷でぶつかったガタイの
いいセクハラ男だった。
あの時はだらしないシャツに綿ズボンのオッサン姿だったが今回はレスキューの制服、
オレンジ色の作業着を着ている。
それだけでもどことなく格好よく見えてしまうことに竜哉は憮然と
しながら小さく後ずさりした。
「アンタ、消防の人だったのかよ」
思わず恩もお礼も忘れて不躾な口調でそう尋ねてしまう。
しかし蜷川はそんな竜哉の態度に怒る気配もなく気軽にベッドの端へと腰を下ろした。
「おう、一応公務員だぞ。しかし俺も驚いた・・・助けにいったらお前がいたんだから」
心配そうに寄ってきた手をなぜか払えず視線で見送り、竜哉は頬に触れる体温を感じた。
「しかも勃起状態だったしな。お楽しみの最中だったのか?タオル外すの大変だったぞ」
一瞬忘れていた事実を思い出されびくん、と竜哉の肩が揺れる。
「あれは・・・援交相手が、縛ったまま逃げて・・・しかも薬で、その・・・」
竜哉が口篭もる。
別に蜷川相手に言い訳をしても仕方のないことなのだが。
わかっていてもなんだか誤解をしてもらいたくはなかった、この男に。
「・・・そうか、そりゃ大変だったな」
俯きかけた竜哉の後頭部を大きな手のひらが胸元へと引き寄せた。
ぽすっと衣擦れの音がして竜哉の顔が蜷川の胸へと納まる。
そこは埃っぽい、日向のニオイがした。
「・・・・・」
竜哉の顔がほのかに赤くなる。
こんなこ汚いオッサンに、竜哉の好みとは正反対の下品なオッサンに、
抱き寄せられて安堵感を覚えるなんて。
竜哉は無意識に片手を蜷川の背に添えた。
「・・・怖かった。もう、俺死ぬのかなって・・・煙、たくさん入ってきて・・・
ベランダが爆発して・・・」
今思い出してもその恐怖がまざまざと浮かんできて指先を震わせる。
蜷川は黙ったまま竜哉の旋毛に唇を寄せていた。
「いっぱい助けてって叫んだけど誰も来てくれなくて・・・縛られた腕を
解こうとして、でも出来なくって」
呼吸が苦しくなった気がした。
竜哉が心に残した痛みはまだ確実に心身に影響を及ぼし、恐怖で喉が引きつる思いをする。
再び困惑しかけた竜哉の身体を、蜷川はめいいっぱい抱きしめた。
「・・・俺が助けてやるよ。何度だって、お前が危険な目にあったら、
俺が助けてやるから。・・・安心しろ」
目を、見開いた。
あれほど憤りを感じた蜷川の声が今は唯一の安心へと変わる。
会ったのは正確に数えて三度目だというのに、確実にこの男は自分にとって
いなくてはならない存在になってしまった。
竜哉はそのことに愕然としながら背に回した手へ力を込めた。
「うん・・・うん・・・」
日向のニオイは心地よく、今まで寝たどんな男の香水より魅力的だった。
ずっとこうやって抱きしめていたいと思う竜哉を、蜷川はそっと引き剥がしながら
嫌な事を忘れさせようとしているのか妙におどけて振舞った。
「いやぁ、しっかしお前の身体見たとき俺も勃起するかと思ったよ。
この白い肌にキスマークつけてぇーーー!ってな?」
にやりとエッチな笑いを浮かべて告げる蜷川に竜哉はぷっと吹き出して
それから彼の唇に小さくキスをした。
「いいよ、残していいよ。キスマーク」
竜哉の体中を奮わせた恐怖は抱きしめられたことによって昇華され、今はただ
蜷川しか目に入らなかった。
お礼なんて十分にできないけれど、蜷川が望むのなら何度だってセックスしてあげたい
気持ちでいっぱいだった。
しかし蜷川は冗談を真に受け取られて慌てて首を振ってくる。
「お、おい。本気にするなよ。弱みに付け込むようなマネはしねぇって」
すると竜哉は蜷川のポケットから頭を出していた携帯電話を奪い取ってピッピと
自分の電話番号を入力しだした。
「・・・な、なにしてんだ?」
でかい体躯がおろおろと竜哉の動作を見守っている。
最後にメモリーのボタンを押すと竜哉は携帯を蜷川へ返した。
「偶然ってのはすごい、せっかくだからテル番教えとくかって・・・
つまりはそういうことだよ!鈍感オヤジ!」
物言いは高飛車だが、頬を赤くしながら叫ぶ竜哉の顔が十分に本気だと伝えていた。
蜷川は一瞬困惑した表情を浮かべたが、こちらも気恥ずかしげに
顔を赤くしてぼそりと尋ねる。
「えっと、本気でエッチしてくれる気なのか・・・な?」
「速攻で理解しろ、バカ」
両腕を組んでそっぽを向いてしまった竜哉に蜷川は腕を絡ませながら笑いかけた。
「嬉しいなぁ・・・ほんと、俺お前のファンだったんだぜ?」
「これからはファンじゃないだろ」
少し機嫌を直した竜哉がちらりと蜷川の顔を伺う。
上目使いのその表情に蜷川の下心がむくむくし始めたが、それを押し殺しながら
啄ばむキスを一度した。
「なに、友達から始めてくれるのか?」
その言葉に蜷川の頭へ竜哉の拳がごすっと決まる。
「ほんっっっとに鈍感だな!本気のセックスなんて、恋人にしかしないだろ!」
思わず出てしまった竜哉の大声に慌てて蜷川が口を片手で塞いだ。
「ここは病院だぞ!・・・って、恋人?」
甘い言葉に蜷川の鼻の下が伸びる。
その蕩けそうな表情に竜哉はもう一度パンチを食らわしながら頷いた。
「嫌なのかよ?」
「・・・願ったり叶ったりです、えっと・・・」
名前を呼ぼうとしてそれを知らないことに気が付いた蜷川が困ったように首を傾げる。
その動作に気づいた竜哉は囁くように甘く低く、答えを返した。
「・・・竜哉」
「竜哉・・・まさかこの年で一目惚れするとはな。改めてヨロシク」
竜哉の顎先を軽く持って、今度は深い口付けを交わす。
近づいた蜷川の顔は、胸元と同じ埃っぽい日向のニオイがした。
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